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スマホ使用の同調圧力はストレスフルな都会の副作用なのか

 バス停や駅のプラットフォーム、電車に乗ってから、そしてやめなさいと言われつつも人によっては歩きながら食べながら、みんなが見つめているものがある。
 タイトルにもあるから既にお分かりだろう、スマートフォンだ。

 そんな人々を見ていると私は少し嫌な気持ちになる。そんな近くばかり見ていないで、もっと周りを見渡しなさいよと。自分の世界にばかり浸っていないで、外の世界と交流しなさいよと。
 いつの間にか、街はスマホを見つめている人々で溢れ返るようになってしまった。右を見ても左を見ても、前を見ても後ろを見ても、スマホ、スマホ、スマホ。みんなスマホ星人だ。

 ぐるりと見渡して、みんながスマホを見ているのを見ると、そんなふうにキョロキョロしている私が場違いな気がして来て、私自身もスマホを開いてnoteを書いてみたりしてしまう。書くのに没頭するあまり、降りるはずの駅を過ごしたこともある。
 こうなるともう、私だって傍から見れば間違いなくスマホ星人なのだ。

 客観的に見ると嫌な気持ちになるので、そこから逃避するために自らもスマホに没入する。もしかしたら、みんなそうなのかもしれない。自分と関係性のない他人の視線を受けることや、視界に他人が入ること、そして見たくもない他人の不快な行動を目にすること。そういったストレスを回避する為には、スマホが丁度よい。
 こんなふうにして皆、スマホを使うという同調圧力に屈してしまうのだろうか。

 思えば、スマホが普及する前も電車の中での人々の行動には大差はなかった。眠っている人、ただ目を閉じている人、新聞を読む人、読書をする人。どれも外界から意識をシャットアウトするための行動だ。そうやって人々は都会のストレスに耐えていたのだ。
 ストレスとかではなくて自分の時間を有効に利用したいだけだと言う人もいるだろう。たとえそうだとしても、外界を締め出している事で余計なストレスを受けなくなることには変わりない。
 普段人混みに慣れていない人は、街を歩くだけで人に酔うとか疲れるという。きっと受け流す方法を知らなくてストレスをまともに受け止めてしまうのだろう。そんなときにスマホの世界に逃げ込めれば上手くいくのかもしれない。

 電車の中だけではなく、歩道でも運転中でも、家庭でも仕事中でもスマホを手放せないとなると、それだけストレスフルな世界を我々は生きているということなのかも知れない。
 都会は便利だし快適だ。だから人は都会に憧れることがあるけれど、人が生活するには本当は適していないのかも知れない。少なくともスマホを使用したくなるという暗黙の同調圧力が減るくらいの生活の場を見つけた方が良い気がする。
 とはいえ移住はハードルが高い。
 どうしたものか。

おわり
 

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