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便利が不便

 例えば二十五年前は電車の中でLINEやメールのチェック、ニュースのチェック、動画視聴やゲームなどはしていなかった。出来なかったからだ。持ち運べるデバイスは携帯音楽プレーヤーか電子手帳くらいで、電車の中で出来ることと言ったら中吊り広告を見るか、新聞や本を読むか、眠ることくらいだった。
 今では車中でスマホ画面を見ないことは無い。大した用事が無くても、大したニュースが無くてもスマホの向こう側にある情報を漁ってしまう。
 そう考えると、忙しくなったものだ。

 スマホ時間の増加とともに便利にはなった。確かにそう思っているのだがそれは本当だろうか。スマホによって私達はどれだけ賢くなったのだろうか。どれほどコミニュケーションが円滑になったのだろうか。浮いた時間は増えたのだろうか。増えた時間で出来ることは増えたのだろうか。
 買い物に行かずともものが手に入る用になって、空いた時間で私達は何をしているのだろうか。
 改めてそう考えると、何も得ていない気がしてくる。不思議だ。時間はどこに行ってしまったのだろうか。

 私達は便利になると楽になると思っている。しかしそれは本当だろうか。
 洗濯機や掃除機は家事を楽にしてくれた。冷蔵庫は冷たいビールを家で飲めるようにしてくれた。テレビは現地に行かなくてもプロ野球を見れるようにしてくれた。
 新幹線は日本を狭くしてくれた。飛行機は世界を狭くしてくれた。
 自家用車はどこでも自由に行けるようにしてくれた。
 インターネットは世界の情報を見せてくれ、世界に発信できるようにしてくれた。
 どの便利さも、ひとりの人が触れることのできる世界を広くし、時間を効率的に利用出来るようにするものだとも言える。
 私達は空いた時間と手の届く範囲が広がった世界の中で、途方もなく進化したはずだ。

 争いはなくなり、イジメはなくなり、災害や危機がなくなり、貧困や格差もなくなっただろうか。仕事はしなくても生活が成り立つ楽園のような生活になっただろうか。
 寿命は伸びたかも知れないがその分幸せが増えたのだろうか。

 便利な道具が増えても仕事の忙しさは変わらず、給与は増えず、せわしなくなって殺伐として、人間らしい生活が遠のいた気がしてはいないか。
 便利になったつもりが、逆に不便になったこともあるのではないか。

 スマホがなければこの記事だって書けないだろと言われればその通り。だから私のような無名オヤジの独り言でも役立つことがあれば良いのだが、ただの時間潰しにもならないと言われそうだ。

おわり


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