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百獣の王

 普通の日本人にとってアフリカのサバンナが遠く未知の地域だった頃、百獣の王と聞けばライオンのことだった。しかし今の人間は間違いなくライオンのことを下に見ている。ただの野蛮な大きい猫だと言わんばかりに。
 地球上のあらゆる生物の中で頂点に立ち、世界を支配しているのは人間だと、人間は思っている。実に愚かなことだ。

 人間が生物界の最上位に君臨しているなどという思い上がりに少しも違和感を覚えないとしたら、恥ずかしいと思った方が良い。人間は地球を破壊し、資源を略奪し、うまい汁を吸い尽くさんとする寄生獣に過ぎないのに、力を授けられた特別な存在だと勘違いしている。どんな大義名分も人間中心のものの見方で作られたものだ。地球の為になるものではありえない。自然を守ろうというスローガンこそが上から目線であることを忘れてはならない。

 地球上にはまだまだ人が住んでいない領域が多くある。人が快適に住めるエリアの方が少ないくらいだろう。しかしながら、何らかの形で人が関与していないエリアが無いこともまた事実だ。世界のどんな秘境に行ったところで、空気は繋がっている。水も循環している。人類が地球の隅々まで、全体の環境に影響を与えているのは言うまでも無い。
 問題は自分たちの住むエリアがきれいになる程に、その分だけ他の場所が汚れていることだ。私たちは普段の生活しているだけで、知らないうちにあちこちを汚しまくっているのだ。見えないところに住む生き物や人々がその汚れの影響を受けていても、気にしなくても生きていける社会の仕組みの中で私たちは生きている。

 ただの動物という点で言えばヒトもペットも野生動物も同じだ。ヒトが動物を超えた動物な訳では無い。生物という観点ではそこに植物が入る。人間が他の生物の命や住環境を踏みにじることが正当化されるのは、人間にとってそれが正しいから。メリットがあるからだった。

 ある意味それは当然のことだ。人間は自然界の中で自らが生き延びるという競争原理に勝ったから今の地位を築いたのであって、あえて自滅するための方策を取る意味はない。だから人間が一番偉くて一番正しいと思いたくもなるだろう。邪魔なら虫けらは踏み潰せば良い。
 ところが繁殖が過ぎたために、環境を変える量とスピードが劇的に増大してしまった。自らの首を絞めかねないまでに増殖し、かつ、エネルギー使用量を増大させた為に、地球が元々持っていた余力はかなり食い潰されてしまった。

 事は温暖化の問題ではない。そんなのはまだ優しい。温暖化は変化の一端が現れただけで、大ボスはもっと後に登場するものだ。
 天の恵みという言い方が、いつしか資源と呼ばれるようになった時、それは与えられるものから収奪し尽くすものになった。大切に使い続けることを諦めた罪滅ぼしなのか、リサイクルなどというお題目で良いことをしている気になっている。使えなくなったら捨てて新しいのを買えばいいよ安いんだからという百均の浪費は、お金のダメージは少なくても資源のダメージは大きい。

 勿体ないの元々の意味は、物体、つまり本来あるべきものの姿で無いということ。ものへの敬意と感謝を込めて、形がなくなりその価値を全うするまで使い尽くすのが大切だということ。
 自然の恵みを使うからには節度を持って謙虚な気持ちで、長く使い続ける覚悟が必要だと思っている。

おわり

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