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車内放送で謝らないで欲しい

都心の電車に乗っていて、踏切人立ち入りや、線路内に人が降りたとか、人身事故などによって電車が遅れることが毎日のようにある。
その度に車内アナウンスで車掌さんが申し訳ございませんと謝る。

それどころか、少しの遅れでも申し訳ございませんと謝る。

例えば運転手が寝坊して今駆けつけているところなので電車が遅れますとか、昨日整備する予定だった電車を整備し忘れたので車両が足りず運休になりますとか、線路から異音がするのに気づいていたけれど放置していたら線路が壊れてしまったので運行出来ませんといった場合ように、明らかに鉄道会社のせいだろうというようなことに対して謝るのは当たり前だと思う。
けれど、鉄道会社が原因ではないことで謝る必要はない。
いろいろな事情で列車が遅れることは乗客の誰しもが想定しうることで、それを受け入れた上で電車という交通サービスを使うというくらいの方が良いと私は思ってしまう。

あなたの様に多少遅れても良いという方がいるのかもしれませんが、お客様の中には1分の遅れでも不快に思う方がいて、不快に思わせてしまったことについて謝っているのです、というのだろうか。

駆け込み乗車に対しては半ば感情を露わにして車内アナウンスをする車掌さんが、乗客が故意に電車に衝突してきたような人身事故や、踏切内に故意に人が立ち入って来たような場合は、「申し訳ございません」を連呼する。むしろそんな時こそ怒って良いんじゃないか。
怒りのアナウンスが行き過ぎだとすれば、起きている事実を伝えるのみで良くて、「申し訳ございません」はいらない。

私は車内アナウンスで「申し訳ございません」と言っているのを聞くと不快になるのだが、それも含めての申し訳ございませんなのだろうか。

この記事では、電車の車内アナウンスでの謝罪多用をきっかけとして見えてくる逃避社会について綴っています。
そんな記事を目にしたら不快になるという方は目にしない方が良いと思うので、読みたい方のみ読めるようにという意味で以下を有料化しています。
読みたい方が気軽に読めないのはどうかと思いながらも、読みたくもない方が目にして不快な思いをされるのは申し訳ないと思い、このようにしてみました。


完璧を求める社会と現実逃避


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