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恐いもの
地震・雷・火事・おやじ。
昔から恐いものの筆頭に挙げられていた地震。
地震が多いこの国では、地震を知らない国で育った人に比べれば格段に地震慣れしていて、ちょっとやそっとでは驚かない人も多いだろう。
それは私もそうだったが、阪神大震災、東日本大震災を経た今は少し臆病な自分がいる。
それは、地震によって壊れる様子が具体的にイメージできてしまう事が理由だと思っている。
道を歩いていても、横の塀が地震で崩れたらどうなるか映像的にイメージ出来るし、向かいの家や隣のマンションがどんな壊れ方をするのかも分かる。もちろんそれは想像に過ぎないと言えばそれまでだが、間違いなく阪神大震災の後に私が身につけた特殊能力である。きっと私以外にもそういう人はいるのだと思う。
そして、同じように道を歩いていても、その横の家はもちろん周囲一帯が津波でどうなるか私には見える。これは東日本大震災の後に私が身につけた特殊能力だ。
昨日の揺れは、ここ関東では震度としては大したことが無かった。
しかし揺れ方は嫌な感じがした。
横揺れだけの地震に普通は恐怖を感じないのだけれど、いつまでも続きそうな、うねるような揺れ方は少しだけ怖さを喚起させられた。
たとえどんなに準備していても、大きな地震に遭遇したとき私は身動き一つ出来ないことを知っている。何が起きているか理解出来なくなることも知っている。生死を分けるのはその時あなたがどこに立っているかによるもので、それは運命と言っても良い。崩れてくる何かから逃げることは出来ない。残念ながら何の対処も出来ない。
だから怖さを感じるというのは、その時は生きている証拠だ。
もし今ここで地震が起きたら建物や道路がこうなるだろうという鮮明なイメージが湧くようになったのは実際にそれを間近で見たことや感じたことがあったからだろうと思う。しかし、幸いなことに時間の経過とともにそういった記憶は薄れる。
記憶を失くすことでトラウマ的な恐怖心は無くなって日常生活を普通に過ごせるようになる。
社会としては忘れてはいけない記憶も、個人レベルでは忘れてしまいたい記憶であったりする場合もある。忘れるという脳の機能があるからこそ正常な精神状態を保てることだってある。
いつどこでどんな形で遭遇するか分からない災害と隣合わせのこの国では、毎日を大切にして後悔しない生き方をしなければならない。頭では分かっていても、つい忘れて怠惰に過ごしてしまう。
だから私はその時が来た時に悔やむことになるのかもしれない。
自分の無意識のうちに都合の悪い過去を封印しているだけだとしたら、それが蘇ることが私は何より怖い。
おわり
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