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損して得取れ?
得をすると思った行動が最終的に得をすることかどうかは分からない。
例えばその時は当たると思って購入した馬券が紙屑になるなんてことは日常茶飯事だ。当たると思わない馬券を買う人はいないから、買うときは得をするつもりであるに違いない。結果的に上手く行かないと、当たったり当たらなかったりするけれどトータルでトントンなら良いとか、これは楽しみでやっていることだから当然楽しんだ分のコストは掛かるよなんて自分に言い聞かせたりする。
失敗の言い訳をどう言うかはさておき、得をしようという望みは多くの場合裏切られる事になるもののようだ。
それでも人は良い方向に転ぶ事を過度に期待する。百発百中の事柄よりも一か八かの一発逆転に掛けてしまう。
その時に頭の中に満たされる得も言われぬ高揚感は所詮架空のものなのだが、それは麻薬の如くに人を虜にしてしまう。
ここで言っているのはギャンブル依存の話ではない。そうではなくて、ありもしない夢の世界に身も心も浸してしまうような事は日常的にあるということだ。
短期的には損だが長い目で見れば得をすることよりも、目の前にある得しそうなことに脇目も振らずに飛びついてしまう。人はどうやらそういうものらしい。
目の前のショーケースにある美味しそうなケーキよりも1ヶ月先の体重を優先するのは難しい。いくらでも言い訳も出来る。
だからこそ時間的に俯瞰するような目線、つまり計画とその実施というプロセスが重要なのだろう。
時間的な立体感をイメージして木を見て森を見ずにならないようにしたいものだ。
おわり
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