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上司と部下

 上司と部下という呼称はどの会社にもあるが、会社以外では使われない言葉でもある(警察を含めた役所の人々も勤め先のことを会社と呼ぶので、公務員も含めてのことだ)。

 上司という言葉の出どころを探すと、国家公務員法、地方公務員法に「上司の職務上の命令に忠実に従わなければならない」と定められており、ここに上司という言葉が出てくる。

 会社が組織の形態を取る以上、役職上の上位の者と下位の者が存在することになる。上意下達なんて言葉もあって、会社の中では上か下かが結構重要視される。
 役職とは別に先輩後輩や年齢上の目上目下まであって、とにかく会社というのは上を下への大騒ぎなのだ。

 収益をあげ利益を出すことが会社の目標であり、そのための組織であるからには、社員が目指す方向性が揃っていなければならず、自ずと指示命令と遵守が尊ばれる。その目的達成のための上司であり部下であるのは事実だ。また、指示を出す側には何らかの決断(選択)が必要であり、その選択の責任は指示者が負う。
 しかし上司と部下は組織の中の役割が違うだけであって、どちらが人間として偉いとか偉くないとかいうのではない。
 だから、職務上のことであっても下から上に意見してはならないということは全くなく、自由闊達な議論があるべきだ。もちろん最終的な上司の決断に部下は従わなければならないが、そこに至る過程では対等であり、皆がお互いに批判的である方が組織として健全なはずだ。

 ところが多くの組織では、その役職をもって人間的に偉いと勘違いした上司による抑圧、弾圧、強制がまかり通っているのではないかと想像するし、そのような実態を目撃している。それは、上司となる人間が年齢も上であることが多いのも影響しているかもしれない。
 地位は人を作るとも言うが、地位は人を変えもする。

 上に立つというのは、見渡せる位置に立って組織を機能させるための指示を出すという役割なだけであって、偉そうにする必要は無い。いわば朝礼台の上から眺めて、そこの列もうちょっと右に寄って、と指示する係のようなものだ。
 それでも、指示を聞かない社員がいそうだと思った時に必要以上に偉そうな態度を装ってしまうことになる危険性がある。自信の無さや不安などいろいろな感情が人を偉そうに振舞わせている面が少なからずある。

 また、部下は部下で必要以上に上司を上に見て変な遠慮をしてしまったり、敬遠してしまったり、敵対してしまうことは、それこそ業務を阻害することに他ならず、理由はどうであれ給与を貰う以上は許されざることである。

 大切なことは、上司も部下もそれぞれの仕事上の役割を相互に認識し、リスペクトを忘れずに協力しながら、業務を遂行し結果を残すという会社の目的を達成するための組織の一員として機能を最大化させることだ。

おわり


 

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