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ドラマ『ザ・グローリー ~輝かしき復讐~』NETFLIX

 いくら道徳的に良くないと言ったところで、人間社会からいじめは無くならないだろう。
 いじめは、強者が弱者に対して行うゲームの一種であり暇潰しでありストレス解消の手段だ。人間が公平平等なんていうのは理想家の妄想で、実際には不公平で不平等なのは誰でも分かっているはずだ。
 そしてもっと興味深いのは、強者の中にも強者と弱者がいるし、弱者の中にも強者と弱者がいる。つまり、いじめの対象になる人はどこにでもいるということだ。

 このドラマでの強者は超金持ちで、弱者は貧乏人だ。彼の国ではそれ程までに貧富の差が激しいのか。金持ちの家に生まれさえすれば将来に渡ってのレールが定まっているようだ。金持達ちはずっと金持ちで、貧乏人はいつまでも貧乏人。つまり、貧乏人はずっとこき使われ、いじめられ続ける運命にある。アメリカン・ドリームのような夢や下剋上は普通は期待できない。
 だからこそ運勢や運命判断、はたまた宗教に拠り所を得る人達も多いのだろうか。
 ただ、そんなことは何処にでもある話。

 主人公は高校時代に壮絶ないじめに遭って退学し、更には親にも売られどん底を見る。それでも高校卒業資格を得て大学受験に合格し大学生となることで、「人並み」に返り咲く。
 しかしそれは、復讐の始まりに過ぎない。

 笑顔を抑えた役柄にはもったいない。そう思うほど美しい。人生を掛けた復讐を誓うほどだから信念は揺るぎない。視聴者は既に虐待の実態を見せつけられているから、早く殺ってしまえと心の中で無責任に応援する。
 その期待に反して主人公は淡々と手順を踏み続ける。まるで熟練のボクシング・チャンピオンが距離を取って自分の間合いを測り続け、時折鋭いパンチを的確に当てるかのようだ。
 醜悪な陰を持つ相手に、どうやって復習を遂げるのか。それがこのドラマの駆動力になっている。

 金持ちが幸せなのかという哲学的な問いはさておき、このドラマに登場する金持は表面的には幸せそうに見えて、その実は幸せを探し続けてさ迷っているという趣き。
 隠された過去の事実はそれこそ墓場まで持って行けさえすれば何の問題もないが、途中で道端にでも落とそうものならとんでもない。破滅の道しかない。
 それでも冷静を装いながら、彼を愛しているからこそ真実のことは言えないと思うに至る。いや、違う。本当のことを言えない間柄にあるのは愛なのだと思い込もうとする。支離滅裂で独りよがりの思い込みを平気で出来るのは、彼女もまたきっと虐められる側であるからだ。
 願わくばいじめや虐待の連鎖が止まってくれればと思うが、なかなかそうはいかないものだ。

 ところで、ドラマ前半の苛虐シーンは目を背けるほど生々しい。しかしだからこそ見ているこちら側にも復讐心が宿るのだろう。
 春に予定されているシーズン2が待ち遠しい。

おわり


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