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メタバースってなんだろう

 最初にお断りすると、この記事はメタバースの専門家(?)ではない一庶民が勝手に見解を述べているだけです。

 日常の大半をスマホの画面の中で過ごしている人は年々増えているように見える。今や現実世界を見るよりも画面を見ている時間の方が長いという人が相当数いるのではないか。
 そうなると現実世界とネットの中のどちらが現実と言えば良いのか。
 

 ちょっと前までは、現金かキャッシュレスかと言われていたのが、キャッシュレスはだいぶ定着したのではないか。その昔は給与が現金か振込かと言われていたのだから、大いなる進歩ではないか。
 ここで言う進歩とは、現実世界にあったものが仮想世界に移行することを言う。その意味だと、手紙もそうだし、スポーツ観戦もそうだ。つまりお金の世界のみならずメディア関連は全て同様の進歩が当て嵌まる。何かを多くの人で共有するには欠かせない進歩だったと言えよう。

 物事を仮想化するのは人間の特徴だから、この進歩は今後益々進むと予想される。
 

 恐らく多くの人はスマホを通信手段の延長と考えていて、メッセージアプリは道具として利用しているだけだから、そこでの会話は現実そのものだと思っているのではないか。
 SNSも便利な道具の一つであって、別に仮想ではないと思っているかもしれない。
 しかし、特に日本では匿名でのやり取りが好まれていることを見れば、その中に現実とは別の世界を求めていると言ってもいいだろう。

 
 かつて無限と思われた地球は船によって有限であることが確認され、飛行によって時間あたりの移動可能距離が飛躍的に大きくなった。つまり世界は小さくなった。
 そして、インターネットの登場で特に遠距離において通信コストが劇的に下がり、これによって世界がさらに小さくなった。
 歴代地球の大きさそのものは変わらなかったのに、私達が感じる地球の大きさはどんどん小さくなったのだ。私達が認識しうる「地球」は、現実そのものの地球ではないということにもなる。

 地球が小さくなるとともに、現実の世界と並行して頭の中に存在する世界はどんどん肥大化している。
 究極は映画マトリックスで描かれる世界に似ている。映画では人がエネルギー源として使われており、実は繭の中で寝ているだけなのに、脳に繋がれたプラグによって仮想世界を見せられている。本人はその世界を現実と認識している。
 人間がエネルギー源になるかは別として、ヒトはじっとしているだけで世界を感知し、その中で「現実」の世界を生きられるとしたら、その仮想世界こそが現実に取って代わることになる

 メタバースとはそういうことではないか。

 インターネットの黎明期は、インターネットは人の生活の外部にあって時々参照するものだった。普及とともにインターネットに関わる時間は増え、今や生活に欠かせないものとなった。
 みんなどっぷりと浸かっている。インターネットを取り上げられたら、発狂する人が溢れるばかりか経済活動が止まってしまう。
 インターネットが無くなると、インフラが機能しなくなり、工場が稼働出来なくなり、連絡が取れなくなり、見える範囲のことしか把握できなくなる。
 それくらいに私達の生活はインターネットに頼り切っている。インターネットによって構築された仮想世界に頼り切っている。

 つまりインターネットは既に私達の生活そのものであり、であるならばいっそのこと、全てネット上で完結出来る仕組みを作ってしまえということではないか。
 それがユニバースを超えたメタなユニバース、すなわちメタバースではないか。

 そう考えると、リモートワークもDXもデジタル化もメタバースの入口であり、メタバースによって完結する。
 人が頭の中に構築した世界の中で他人とコミニュケーションする手段の開発によって達成されるメタバースが高度に実現した世界は、皆ベッドの中に居たままで出社し仕事をし旅行をするような、さながら『マトリックス』と変わらないものになっているかも知れない。

 ちょっと寒気がしてきた。

おわり
 

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