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映画『ザ・キラー』(Netflix)

 成功が続いて自分は特別だと思っていても、たった1回のミスだけでどこにでもいる凡人に成り下がる。それどころか、生きている価値も無い、あるいは、生きていては危険な存在ですらある。
 だから、運命というようなまやかしに頼らずに、自分の過去を受け止めなければならない。

 暗殺請負人という仕事はどこか特別な印象を与えるが決してそんなことはない。退屈な上に、気をつけなければならないことは無数にあり、たった一つのミスも容赦されない点では、どこにでもある仕事と同じだ。違うとすれば、そのミスが文字通り致命的になるかどうかだけだ。
 殺す側と殺される側を隔てるものが何かある訳ではなく、それを仕事とする人か仕事の対象になっている人かという違いがあるだけだ。

 生きていれば、人は夢を見る。
 将来なりたい自分、憧れる生活、特別な存在。そうしたものを目指して人は前に進む。
 けれども、まるで宝くじに当選するように、突然幸運に遭遇することなど無い。ひとつひとつを確実にこなし、着実に歩んだ過去があればこそ、夢のような生活が待っているのだ。その場所には、運命的な何かを期待するのではなく、自分の脚で歩いていく他ない。それは至極退屈な道だが。

 人の持つごう(カルマ)は関係がないとる主人公に言わせるのは映画『セブン』と同じコンビ、監督のデビッド・フィンチャーと脚本のアンドリュー・ケヴィン・ウォーカーだ。ジャンルはアクションやスリラーと書かれているが、痛快なアクションやドキドキするようなスリラーを期待すると裏切られる。ここで言うアクションやスリラーは心理戦の趣だ。

 結局のところ、何を守りたいと思うかだ。
 金、名誉、地位、夢、職、そして家族。あるいは自分。
 しかし、どんなに守りを固めても、やってくる時にはやって来る。その間にどれだけ障壁があろうとも来る時は来る。一瞬の気の緩みが命取りになる。奴はきっとあなたの背後に忍び寄っている。

 それを運命と呼ぶか、それとも自業自得と言うか。
 過去に責任を持つ意識があれば、殺し屋が来ることは怖くはないはずだ。

おわり
 

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