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雲ひとつない空

 夏の空には入道雲がつきものだ。
 それが8月になろうという今朝の空には雲ひとつ無かった。
 ぐるりと見回しても本当に雲ひとつ無い。おかげで歩きながらしきりりと周囲を見回す怪しい人になってしまった。

 暖められて軽くなった空気は上昇する。湿った空気が上昇気流に乗って舞い上がると気圧が低くなって膨らむ。すると急激に冷やされて空気中の水分が細かく結露する。その細かい水玉が光を反射して白く見える。それが雲。
 そう言えば雲ひとつない今朝の空気は乾燥していた。

 暖かい空気、冷たい空気、湿った空気、乾いた空気。温度と湿り気のバランス。
 そこに空の高さと太陽からの日射、それに日射によって暖められた地表の熱が関係してくる。
 普段何気なく見ているけれど、雲はそういった様々な要素の組み合わせによって出来る大気中の境界線だ。
 宮崎駿のアニメでは雲がまるで海面かのように表現されていたが、ある意味これは正しい。海面は大気と海の間に出来た境界線。雲は大気の中に出来た境界線。

 境界線は、線と書くけれど実はそんな線はどこにもない。線のように見えるだけだ。線があることに決めたからそう見えるだけ。質が変化する箇所や領域のことを線と呼ぶことにしたに過ぎない。
 いちどそう決めると、あたかもそこに線という実体があるかの如く見えてくる。無いものが見えてくる。
 内と外。男と女。個人と社会。会社と社員。仕事とプライベート。理系と文系。日本人とガイジン。自分と他人。今の自分と理想の自分。

 目を凝らして見てみると、海面からは絶えず水が気化して大気となり、またその逆に大気中の水分が海水に戻る。遠くから見るとくっきりした線のように感じる海面は実はかなり朧げだ。
 雲と空の境界線も、地上から見上げていたときはくっきりしていたものが、空を飛んで雲に触れるくらいのところに行ってみると、雲というより霧に近いと思えるくらいぼんやりしている。

 違いを分かつ線に見えていたものは、それくらい曖昧なもので、違うことそれ自体にはそれ程の意味はない。境界線は校庭に引いた白線ほどにもくっきりしたものではなく、想像上の幻想に近い。

 高台の道に行くと、東の空に入道雲の赤ちゃんのような白い雲を見つけた。
 これで今日も蒸し暑くなるのかと思うとうんざりしたが、なぜか少し安心した。

おわり

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