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少子化対策と日本の未来

少子化対策という言葉を聞いて以降、その対策はなかなか進んでいないような印象を私は受けている。
そうこうする内に、我が家の次男も来年は成人式を迎える。

少子高齢社会という言葉の印象が強く、私は「少子高齢化対策」というものがあると誤解していたが、少子化と高齢化は別問題として取り扱われているようだ。
内閣府のこのページを見てみると、「少子化社会対策大綱」というものがある。これの概要版(PDF)を覗いてみた。

まず、背景として挙げられているのが、人口減少が社会経済に与える影響が大きいこと。少子化の原因として未婚・晩婚・有配偶出生率低下、結婚や出産、子育ての希望の実現を阻む要因・・・とある。

目標は、希望出生率1.8の実現だという。結婚や子育てに希望を見出し、希望する時期に結婚や出産出来る社会を目指すことのようだ。ただ、価値観の押し付けに気をつけよう、と注意書きがある。
希望出生率とは、若い世代の結婚や出産の希望がかなったときの出生率の水準だという。

基本的な考え方として4つ挙げられている。つまりどういう方針の対策を行うかということだ。

1 結婚・子育て世代が将来にわたる展望を描ける環境を
つくる
2 多様化する子育て家庭の様々なニーズに応える
3 地域の実情に応じたきめ細かな取組を進める
4 結婚、妊娠・出産、子供・子育てに温かい社会をつくる
5 科学技術の成果など新たなリソースを積極的に活用する

読んでいて空疎な気持ちになるのは私だけだろうか。
優秀な役人が作った文書は、中身が有るような無いような、分かったような分からないような、そのときは頷いてしまうが後でよくよく考えてみると結局何だったのか良く分からないものになりがちな気がする。
これは役人個人が悪いのではなくて、こういった政府方針が形になるまでの間に様々な利害調整が行われるために、最終的に我々が目にする時には骨抜きになってしまうという行政の構造的問題だと思っている。

***

少子化社会対策という話の大前提は、少子化の進行による人口減少が社会経済に多大な影響を与えることである。もちろんこれ自体は間違っていない。
間違っていないが、人口が減れば影響があるのは当たり前で、ブリーチをすると脱色しますと言っているようなものだ。
黒髪が好きな人もひっくるめてみんなブリーチすることは既に確定してしまっている。
政府は人口が減ることが良いとも悪いとも言っていない。減ると影響があると言っているだけだ。でも、人口減少が悪い事のように印象づけられてしまっているのではないだろうか。

他の先進諸国に比べると日本の人口が多い方だということは誰でも知っているだろう。国土が広いアメリカを除けば、1億2千万人以上の人口を抱える日本は西側先進国の中で1番だ。
各国の人口は、ドイツで8千万人、イギリスで7千万人弱、フランスが6千5百万人。カナダは4千万人に満たないしオーストラリアは2500万人だ(こちらを参照)。
なお、これらの国々には多くの移民がいる。例えばドイツの場合は人口の2割弱が移民のようだ。日本の移民比率は2%だ。
人口密度で比較すると、日本は世界で25位の1平方キロメートル当たり347人。イギリスが281人で36位、ドイツが240人で41位、フランスは119人で74位、アメリカは36人で148位だ。

人口の適正値がどこにあるのかを決めるためのファクターは様々なので世界諸国と比較したところでどうだという訳ではないが、日本の人口が今後減り続けたとしても、数だけで言えば他の国に比べて凄く少なくなってしまうということでないのは事実だ。

一方で、人口が減って困るのは社会福祉・社会保障行政だ。
つまり高齢化社会となった現在、日本の現行の行政システムの前提条件と現状とが違いすぎていることが問題なのだ。
行政システムが想定する前提条件に近づけるには少子化社会では困るので人口を増やそうということになる。
しかし、それだと一時的に労働者が減って困るので子供が出来ても夫婦ともに働き続けられるよう、女性の社会進出を促し、環境を整えようということになる。併せて高齢者も元気な内はどんどん働いてもらおうということになる。

高度成長期に行われた核家族化を伴う工業化推進と都市への労働力注入は、実質的な「家」の崩壊とともに地域コミュニティを亡き者にしてしまった。
同時に、恋愛も結婚も本気で望まないと出来ないものへと変化し、簡単には出会いは見つからなくなっているという。

抜本的改革という言葉は良く聞くが、根本に立ち戻る途中で行き止まりになっている改革しか行われていないように思える。

未来の日本のあるべき姿やありたい姿を、ひとりひとりがイメージして語り合い、そのためにひとりひとりが出来ることをやって行かなければ未来は変わらない。
目の前の多事にかまけて、夢や希望を語ることや語り合えるコミュニティを失い、友情や愛情はSNSを通じた情報の一つとなって希薄化していく。そんな人が増えているのではないだろうか。あるいは、明るい未来を展望出来ない社会経済状態での生活に、夢も希望もあったものではないのかもしれない。

政治家や役人が社会を作ってくれるのではない。
政治家や役人や既存の社会システムに愚痴を言っても何も変わらない。
知らず識らずのうちに何となく形作られている世界観を一度俯瞰してみて、自分たちの行きたい未来を夢想しあうのもたまにはいいと思うのだが。

放っておいてくれ、と言われそうだ。

おわり


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