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一極集中

 東京近郊への一極集中が止まらないという。
 そんなことは、もう何十年も前から言われ続けていることだ。首都機能の分散だとか、企業の本社移転の話はこれまでも俎上に登っては消えていった。結局は便利な都会が一番良いし、集まっていた方が何かと都合が良い。皆、そう思っているのだろう。片や通勤が大変で物価が高く、何より人が多くてうんざりするとか、勝手なことを言う。

 一極集中の一番の問題は、混雑や物価ではなくて、都会での社会の質だろうと思っている。 
 全国各地からの移住者たちは故郷を捨てて戻らぬ覚悟で上京しているわけでは無いだろうから、心の根っこは故郷に残している。その証拠に帰省シーズンの混雑がある。そのことの善し悪しがどうというのではなく、そうした人々にとって都会は仮の住まいであり、個人としての自由を最大化して住むところではあっても社会生活の場にはなりにくい。共同体意識は育ちにくいということだ。
 故郷に帰れば隣近所の近すぎる心理的な距離感に辟易しつつも、都会では物理的な距離に反比例して心理的な距離は広がる。つまり隣近所は何する人ぞでも遠くの故郷が心の支えになる。

 そんなことだから、都会生まれの人達のIターンはあっても、上京組を地域に分散することは現実的には有り得ない。Iターン組の数はたかが知れているから、首都圏への集中は止まらないわけだ。

 大阪都構想は実現しなかったが、それも日本には第二の大都市は必要ないことの現れだろうか。いっそのこと、全国を全てまとめて東京都にしてしまえ。そうすれば誰もがその場に居ながら上京状態になる。

 在宅ワークの広がりみたいなことが新しい日本の在り方と言っている時点で次元が低い。何のための仕事を誰のためにどこで行うのが一番良いのかを考えれば、一足飛びに在宅ワークではなくても良いはずだ。人間的な生活や自然環境の事を考えるのであれば、日本を首都と地方に分けるのではなく、日本全体で新しい都市の在り方を真剣に模索する事が必要だ。その過程で在宅ワークを実現させたような遠隔技術を上手に取り入れれば良い。

 思えば電話にしてもラジオ、テレビ、携帯電話、インターネットなど、私達の生活を変革してきたのは遠隔通信技術だった。遠くに居る人と話すことに何故人類はこれほどときめいてきたのか。それと同時に近くに居る人を軽視するようになってしまったのか。遠隔技術がありながらどうして仕事は全てを遠隔で出来ないのか。
 考えるまでもない。
 人は生身では遠くを把握することが出来ないからだ。だから遠くを見て取れる望遠鏡にもときめいた。それでいて、いや、だからこそ、近くの人と交流せずには生きられないのだ。
 人は一人では生きられない。

 こんな空想をしてみよう。
 世界はリモート技術が進み、分散して設置されたカプセルに一人ずつ分かれて暮らしている。物流はロボットが担うので、ネットで注文すれば、いながらにして必要な物資は全て手に入る。人々との交流は、これもネットを介して自在に行えるから、もはや家族ですら一つ所に住む必要は無い。赤ちゃんやお年寄りには、面倒を見るための専用ロボットが24時間片時も離れず付き添っていて、その様子はいつでもネットで確認出来るから安心だ。以前は夜泣きする赤子に夜中でも起こされて寝不足になったらしいが。
 運動不足にはならないのかって? そんなわけ無いだろう。人間が地球上を移動しまくっている割にメタボ検診とやらに引っかかる人が量産されていた時代とは雲泥の差だよ。高カロリーに見える豪華な食事も見た目バーチャルだから、実際のカロリーは高くないし、カプセル内にいればリモート筋肉パッドで運動だって出来る。ヘルスケアデータはこれも24時間監視だから、みんな健康そのものだ。人付き合いのストレスだってないし。
 おしゃべりが出来なくて淋しいかって? そんなわけ無いだろう。僕の志向を知り尽くした専用のアバターがいつでも話相手になってくれる。妻とだっていつでも話せるし、何なら遠隔バーチャルセックスだって最高だよ。リアルなバーチャルセックスでの脳イキを体験したら、事後にシャワーが必須なリアルセックスは煩わしいだけ。

 あなたは、そんな生活がお望みだろうか。

おわり
 

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