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モンスターに挑む

ボクサーはリングに上がるその時まで怖くて仕方がないというのを聞いたことがある。

モンスター井上尚弥に挑んだタイのプレデター、アラン・ディパエンは入場の時、そのニックネームとは裏腹に優しそうな表情をして見えた。WBA10位・IBF5位というランキングは、井上と対戦するにはちょっと格下過ぎるんじゃないかとすら思った。
そんな彼を紹介する動画では、仲間と相部屋に住んで練習に励み、ファイトマネーで家族を豊かにしたいという、タイの選手によくある家族思いの、そしてハングリーな選手像が垣間見えた。

それにしたって、である。

あの井上尚弥が相手となれば、どんなに強い選手だって試合前に逃げ出したくなるほど恐くなるのではないだろうか。
どんなに自分で自分を偽って、オレは世界一強い男だと言い聞かせても、試合が近づくにつれて恐怖は増してくるだろう。

もしかして開き直りということだってありえるのだろうか。
井上が相手なら開き直って一か八かやるしかないと思えるのかもしれない。いや、一瞬そう思ったところで恐怖は無くならないだろう。

ところが、である。

1ラウンドは様子見だったものの、2ラウンド以降、ラウンドを重ねるごとに調子を上げる井上のパンチは、確実にアラン・ディパエンを捉えていた。それにも関わらず、彼は表情を変えない。どんなに効いたと見えるパンチを受けても、何事もなかったように試合を続けている。普通の選手であればもんどり打って倒れ二度と立てなくなるであろう井上の左ボディを受けても、ガードの間から連続して繰り出されるアッパーを受けても、彼はリングに立ち続け、パンチを返し続けていた。戦うことのやめ方を忘れてしまったかのようであった。

どうしたらあんなに耐えられるのか。

それはハングリー精神という言葉だけでは片付けられない何かが彼の中にあるのだと思わせるほどだった。試合後に井上をして、自らのパンチを疑い精神がおかしくなるのではと思ったと言わせる程の何かをだ。
耐えるとか言うレベルでは無いと思う。普通の挑戦者なら耐えられないパンチを幾つも受けた筈だ。戦う気持ちが続かなくなるようなパンチを受けていた筈だ。
それでも彼は戦い続けた。心が折れるという言葉を知らないかのように。
まさに神がかっていた。

どうしたら戦う気持ちを持ち続けられるのだろうか。

どうしたら諦めずにいられるのか。

***

試合後、放送の解説者だったろうか、予想以上にラウンドが続いた試合について、逆に井上が戦うのを長く見れたと言った人がいた。これを聞いた私は自分にも当てはまると思った。会場で見た人も、私のようにPPVで観戦した人も、試合が長く続くほど、ラウンド当たりの単価は下がる。せっかくお金を払ったからには、井上の勇姿を1秒でも長く見たいと思う。
いつ突然終わるとも知れない試合を見ながら、ラウンド終了のゴングが鳴る度に、また次のラウンドが見れるという喜びを噛み締めていた。

試合後、「イノウエ選手は僕のアイドル」と言ったアラン・ディパエンは、間違いなく世界一の井上ファンだろう。拳を交えた男同士なのだから、並大抵のボクシングファンでは到達出来ないほどの、ファンのトップ・オブ・トップだ。
これは絶対に違うだろうと思うが、私はつい、こう思った。
アランは、自分の憧れるイノウエという存在と1秒でも長くリングの上にいたかったのではないか。だからどんなに良いパンチを貰おうとも、我を殺し、痛みを忘れ、井上と一体になってダンスを舞っていたのではないか。ずっとそうして踊り続けたかったのではないか。そんな至福の時を諦めるということは想像すら出来なかったのではないか。

ゲスト解説の関根勤氏が言っていたように、脳を揺らさないと倒れなかったアラン・ディパエンは、8ラウンドの左ストレートを受けて揺さぶられ、イノウエとのダンスの夢から目覚めさせられたのではないか。我々には、パンチが効いて目がうつろになったかに見えたアランだったが、彼の中ではまだ夢から覚めたくないと叫ぶもうひとりの優しいアランが微笑んでいたのではないだろうか。

おわり

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