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映画『Coda コーダ あいのうた』

 親と子がすれ違うのは自然なことなのだろう。
 育った時代も違えば、世界も違う。それに伴って言葉も価値観も違う。
 当然ながら年齢が違う。経験も違う。

 そして何より、親は子を産み育て、子は親に育てられる存在だ。この事実はひっくり返らない。さらに、親も子も相手を選べない。

 4人家族の中で末娘の自分を除いて皆が聾者(ろうしゃ)だったとしたら。家族と世間の間の通訳者として生きることを強いられる。通訳者は自分の思いとは別の所で家族を代弁し、家族に向けられる好奇の目を一身に受けることになる。家族には聞こえないことの全てが彼女に降り掛かってくる。それでも家族が社会から断絶させられることを思うと、彼女は自分を殺して生きることを選ぶ。

 私には親が聾者の家族が親戚にいて、子供が幼い頃から通訳をしているのを身近に見てきた。彼は親が感情的になっていても努めて冷静に通訳に徹していた。しっかりした子供という印象とともにどこか不憫に思う気持ちが拭えなかった。
 
 生きる道を切り拓くことは誰にも平等に課された使命でありながら、誰にとっても不安で心細いことであり、逃げたくなることでもある。一番身近な親くらいは協力してくれて当たり前と思ってみても、現実はそうならない。
 そんな時、信じて応援してくれる誰かが愛情をもって後押ししてくれたなら、世界は変るかも知れない。どんなにいがみ合っていても、世間が評価した娘や息子を誇らしく思わない親はいない。

 夢物語かも知れないが、身近な人が向き合って、手を取り合って、支え合って、励まし合って、時には厳しく叱り合って、お互いの人生に関わり合うことが出来れば、そこに初めて愛が見えてくるのだろう。

 人々を救うような美しい歌声を聞くことが出来ない家族はその美声の持ち主である娘とどう向き合うのか。

 またしても、どうしてか分からないほどに涙に溺れた映画だった。

おわり

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