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スマホ脳と進化論とclubhouseと

最近話題の新書「スマホ脳」を読んだ。

書名からもなんとなく想像できるように、本の主旨は「人間の脳は、スマホを1日何時間も使う生活に合うように進化してはいないよ。スクリーンタイムを減らして、運動しよう」ということ。

スクリーンタイムの長さと、精神の健やかさは反比例するらしい。

スマホをみてる時間が長いときほど、気分が落ち込む感覚は体験しているし、すごく納得感があるな〜と思って読んだ。

私が本格的にインターネットに接続したきっかけは、スマホではなくて、ipod touchだった。

中学生ぐらいのときに初めて手にして、完全に依存してしまった。朝起きてから学校に行くまで、帰ってきてからご飯の時間まで、ご飯の後からお風呂の時間まで、お風呂の中にも持ち込んでチェックして、お風呂出てから寝るまでもずっとみていた。主にツイッター。

明らかに成績も下がったし、自分をコントロールできていない自分のことが大っ嫌いになっていた記憶がある。今もスマホはつねに持ち歩いてしまうけど、10年前よりはきっとコントロールができるようになっている。昔を懐かしく思いながら読んだ。もちろん、今の使い方にも問題があるなとは思ったから、家でもスマホを別の部屋に置いてみたり、スクリーンタイムを減らすために、料理や掃除、筋トレの時間を増やしてみたりするつもり。

話が脱線してしまったけど、今回書き残したかったのはスマホの使い方の話ではないのだった。「スマホ脳」の中で、何度も進化論の話が出てくる。

例えば、北極の熊の話。北極では、茶色い熊より白い熊の方がうまく狩りができて、自然と生き残っていった、ということらしい。(進化論について、大学のときに少し勉強したと思うんだけど、あんまり記憶に残っていない)

人間の例でいえば、狩猟採集をして暮らしていた時代には、「カロリーを摂取できるときに、できる限り食べて蓄えられる人間」のほうが環境や暮らしに適していて、自然と生き残っていった。その習性が今の私たちの中にも残っていることが、肥満につながっているという話。

進化には選択圧というものがあって「より長く生存できる性質、より確実に遺伝子を残せる性質」が自然と残っていくものらしい。

そんな考え方を今の社会や私に当てはめてみた。本にも書かれていたけど、今の社会では人間の進化のスピードは遅くなっているらしい。ある程度充実した社会制度があるおかげで、いろいろな特徴を持った人間がちゃんと長生きできるようになっているから。逆にいえば、そのために優生思想が生まれたり、批判されたりするんだろうなとも思うけど。

今の社会は、複雑で細分化されていて、他者とのつながりがとても重要になっていると思う。想像でしかないけど、例えば、居住、移転及び職業選択の自由がない村社会の時代だったら、関わる人の数も限られていたし、一定の枠組みの中で各人の役割もある程度規定されていたのではないかと思う。

今は、画面をスワイプするだけで1日に何十人の人と出会えてしまうし、一緒に時間を過ごす相手やコミュニティーによって自分の立場や役割は大きく変わってくる。何が言いたいのかというと、今の社会に適応できるような社会性ってすっごくレベルが高くない?ということ。

今流行りのclubhouseをみていても思うのだけど、あれって人数制限のある招待制で拡大していくタイプのSNSなんだよね?やったことないから想像でしかないけど(すまん)。友達が0〜10人ぐらいしかいない、私のような人間にとってはclubhouseに参加する壁がとても厚く高く感じる。5年前ぐらいにスナップチャットやってみようと思って、アプリをダウンロードしたけど、フォローする友達がいなくてその日のうちにアンインストールした人間からすると、「うお〜、またぼっちに人権がない感じのサービスだ〜」と思ってしまった。

そんなこんなで、最近はなんとなく、一人でいるのが好きだったり、どんなに好きな友達でも時々面倒臭くなってしまったり、そもそも人と関わるのが苦手だったり、人と関わる勇気が出ないような人について考えてしまう。私もそういうタイプなのだけど。

最近の私のキーワードが、結婚やパートナーなので、ここでひとりぼっちと進化論が接続するのだけど、人と繋がるのが苦手で社会性に自信がない私のようなタイプは、おそらくパートナー探しにもすごく苦労すると思う。パートナーが見つけられないということは、遺伝子を残していけないということ。(精子バンクを使って出産したり、卵子ドナーになったりすれば別だけど、一旦それは置いておいて)(LGBTQの話も一旦置いておいて)もしかしてこれも一種の自然選択なのかなあと思ったり。今のところ、私はまだパートナー探しを諦めるつもりも、遺伝子を残すことを諦めるつもりもないのだけど、例えばもう少し大人になって、結局一人だったとしても、なんか納得いくなあと思う。私の母が人生に生きづらさを感じているように、私もちょっと生きづらさを感じていたりするから、遺伝子は残さない方がよかったという考え方もあるかもしれない。

そんなことを最近考えたよっていう備忘録的なもの。まあ、clubhouse使ってるの人口の何%だよっていう話だし、普通に大学に行って、就職して、お金稼いで、いざとなったら支えてくれる実家があるのだから、私は今にとても感謝しているし、未来の変化にも希望を持てる。どん詰まりな思考に耽溺せずに、一歩引いて見る視点を持てるぐらいには大人になったのかなってことで。終わり。

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