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極北カナダ Vo.1 長い旅のはじまり 『 −30℃のテント暮らしに到る道 』

海外に暮らすこと今年で15年。そして、今、アラスカの隣のカナダ極北のユーコン準州という場所で、森の中でテント暮らしをしている。

高校生の頃から自分は海外に住むようになるのだろう。小さい頃から薄々感じてはいたが、高校になると心の奥では変に確信めいたものがあった。ちなみに家族環境は、両親も普通に日本で育ち、僕も大学までは海外に行ったこともなく、飛行機さえ乗ったことがなかった。強いていうと姉が大学時に、ニュージーランドに短期語学留学に行ったぐらいだ。

そのような環境で、なぜ海外に住むことを選んだのだろうか。運命といってしまうとそれまでだが、今のように英語教育が盛んな頃でない時代に、英語だけには興味があった。小学6年の時に母に頼んで買ってもらった、アルファベットで書いてもらった絵本。本はなぜか「うばすて山」であったと思うが、その頃から海外への暮らしの芽が育ち始めていたのかもしれない。中学に入ると勉強をそれなりにやってはいたが、英語だけは違った。教科書を最初から最後まで、全て書かれていることを暗記するぐらい、必死に勉強したのを覚えている。

大学受験では、海外留学が長期で行ける大学ということしか頭になかった。幸い2年以上長期で留学ができるプログラムの学科に受かり、大学時代は無事に留学できることになる。(他の保険で受けた入試は全て不合格。)クリントン政権時代のアメリカのワシントンDCで1年半。サッカーの中田英寿がペルージャへやってきた98年に、イタリアや他のヨーロッパ諸国で半年間。そして日本で在学している間も、インド、マレーシア、タイ、オーストラリアなどと色々旅をした。

大学が終わりに近づき、他の留学仲間が外資の企業だ、外交官だとかの道に進もうとしている時、自分だけは就職活動をする気になれなかった。留学中に大学を退学し、アラスカへ移り住もうとか、チベット仏教の僧になろうなどと思ったこともある。実際に留学から日本へ戻ったあとは、本気でチベット仏教の僧になろうと思って、ダライラマのいるインドのダラムサラに行ったこともあった。

でも何かが違った。宗教という枠にも当てはめらてたくないと思ったし、宗教はやはり人間が管理するもの。チベット仏教を色々勉強したにもかかわらず、最後にその人間臭い部分が心に引っかかってしまったのだ。就職活動も、人間が管理する社会の中に入り、選んだ企業のために働くというもの。自分らしい生き方を選ぶといえばそれまでだが、その当時の自分は、もっと何か大きく、揺るぎない確かなものを求めていたのだと思う。

就職をする気もない若者が選ぶ道には、どのようなものがあるのだろうか。大学が終わると、とりあえずは知り合いを辿って、岐阜の山奥のあるロッジに働きにいった。そこで出会った本をつてに、極地冒険家の大場満郎さんのもとへといくことになる。山形の最上町という雪が降る田舎町で、しばらく畑作業、犬ぞりチームの世話とお手伝い、事務作業からスタッフの食事作りなど様々なことを経験した。

大場さんは北極点と南極点を徒歩で到達した冒険家で、それこそ自分の道を信じて人生を切り開いて行った人だと思う。ここでカナダ帰りの犬ぞりマッシャー(操縦士)の人と出会うことになり、始めて犬ぞりなるものを体験させてもらった。そして東京からボランティアで訪れていた女性から、カナダのユーコン準州という地名を聞いたのもここだった。彼女の話によると、北極圏にオールドクロウという先住民の村があり、そこで狩りをして暮らしている民族がいるということ。この話を聞いてからは、アラスカやグリーンランドへといった、漠然とした極北の無垢の大自然への憧れに、カナダのユーコン準州という地名が加わることになる。このユーコンが、将来自分が移り住む土地になるのだ。(次回へ続く)


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