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−30℃、真夜中のヒッチハイクの思い出

早朝のフライトに備えて、オーロラツアー客は街のホテルで待っている状態だ。社長や同僚に電話をしても、皆寝ていて誰も電話に出てくれない。その時見えた車の光に反応し、道路の真ん中にランプを照らして飛び出した。ヒッチハイクが盛んなユーコンでも、真夜中3時に他人は乗せたくはないだろう。
本来、人の生活は自然に支えられて成り立っている。自然の状態が、人の暮らしに影響を与えるのは、当たり前のことだと言える。ただ全てが時間通りに動く社会で育った僕には、寒さが人の生活にこんなに影響するとは、ここに住むまでは知らなかった。

ようやく、長い寒波が終わった。−15℃が温かく感じるから不思議なものだ。

今回は北極海から冷たい風が降りてきた。一番寒い日で−42℃まで下がり、平均で−30℃の寒波が続いたのだ。風が吹くと更に体感気温が下がり、体感温度は−50℃近くとなっていた。

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(−42℃の夜のオーロラ。北極圏の村にて。)

ここまで下がると、犬の散歩をしていても肌が痛い。分厚い手袋やフェイスマスクで顔を覆ってはいるものの、手先や足先がジンジンとして、ヒリヒリとした感覚が数日は残る。

極北の冬は長くて、暗い。日照時間が極端に少ないのが極夜の冬で、逆に夏は有り余るほどの太陽が照り盛る白夜の季節。太陽が恋しくて仕方ない真冬に、寒波がやってくる。まるでこちらの心を見透かしたかのように、追い討ちをかけにくるのだ。

毎年必ず一度や二度はやってくる寒波だが、今年はちょっと油断していた。近年は温暖化の影響もあり、以前ほど気温が下がらなくなってきている。ここユーコンの州都のホワイトホースでは、冬の平均気温は−15℃前後だ。ただ今年は新年を迎えても温かい日々が続き、マイナス一桁台が続いていた。

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(−35℃の妻。犬の散歩途中の風景)

極北に住まない人にとっては、−15度と−30度の違いがピンとこないかもしれない。+15度と+30度の体感が全く違うように、同じマイナスでも寒さの感覚が全く違ってくる。現地に住むものの感覚としては、以下のような感じである。

◉−0℃から−5℃ 

今日はかなり温かい。春日和でいい気分。

◉-5℃から−10℃ 

今日は気持ちいいな。冬がずっとこんな感じなら、生活楽なのに。

◉−15℃から−20℃

典型的な冬の気温。まあ、可もなく不可もなく。

◉−20℃から−25℃

ちょっと寒くなってきた。これ以上、下がらないで欲しい。

◉−25℃から−30℃

そろそろ寒波か。車の電気コード繋がなきゃ(後に説明)

◉-30℃から-35℃ 

寒い。薪いっぱい用意しないと。

◉−35℃から−40℃

かなり寒い。外にはあまり出たくない。

◉−40℃から−45℃

凍傷に気を付けないと。

◉−45℃以下

ウィスキーも凍る寒さとはこのことか。

こんな具合だろうか。極北の冬の実生活で一番重要となるのが、車のエンジンがスタートするかどうか、ということ。マイナス30℃にもなると、車のエンジンのかかりが悪くなる。極北への観光客が不思議に思うのが、ボンネットの下から出ている電気コードだ。これはエンジンオイルやバッテリーなどを温めるヒーターのコードを束ねたもので、電気コードを夜寝る前に挿しておかないと、寒い朝にはエンジンがかからない。

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特に古い車は、キュンキュンと情けない音を立てるだけだ。新しい車はエンジンはかかるのだが、オイル類の流れがよくなく、車にとってはよくないだろう。電気コードを差す目安の温度は−25℃以下。これ以上寒くなると、夜寝る前に延長コードを挿して寝る。

厄介なのは、−40℃ともなると、電気コードを挿してもエンジンがかからないこともあることだ。車がないと、仕事にもいけないし、学校もお休みになることだってある。飛行機が飛ばないこともあるし、飛行機が着陸しても、荷物を入れたカーゴの扉が凍って開かないこともある。

寒波が続くと、街のあちらこちらで、布切れをボンネットの前につけて走る車が現れる。寒波が続くと、ラジエーター部分から寒気が入ってくるため、なかなか車内も暖まらない。布切れや段ボールを使って、寒気の入り口を防いでいるのだった。

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(−30℃前後で出現する幻日=サンドッグ)

苦い思い出がいくつかある。ある冬、−35℃の中、7時間かけてドーソンシティーという街へ行った時のこと。街に到着すると共に、前方から臭い匂いがしてきた。ボンネットを開けてみると、エンジンオイルが溢れている。極寒の中を長時間走り続けたため、エンジンオイルの一部が凍ってしまい、膨張して溢れきたのだ。ボンネットに布切れをつけておけば、防げることだったが、当時の自分は知らなかった。

もう一つの失敗は、オンボロ車に乗っていた20代の時。朝3時の真っ暗な中だった。ツアーガイドの仕事で、早朝の空港お見送りの仕事があった際に、車のエンジンがかからなかったのだ。就寝時には−15℃ほどだった気温が、夜間に急激に冷え込み、朝3時には−30℃まで落ちていた。要するに、前の夜に次の朝の気温をしっかりと調べていなかったのだ。

早朝のフライトに備えて、オーロラツアー客は街のホテルで待っているはずの状態だった。社長や同僚に電話をしても、寝ていて誰も電話に出てくれない。郊外から街まで車で30分ほど。とりあえずハイウェイには出たものの、歩いていくわけにはいかない。夜中には車もほぼ走っていなかった。

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(−35℃の朝)

その時見えた車の光に反応し、道路の真ん中にランプを照らして飛び出した。ヒッチハイクが盛んなユーコンでも、真夜中3時に他人は乗せたくはないだろう。だが車の主は驚いてはいたが、怒るわけでもなく乗せてくれた。結局、無事に時間内に街へと到着できたのだった。

本来、人の生活は自然に支えられて成り立っている。自然の状態が、人の暮らしに影響を与えるのは当たり前のことだと言える。ただ全てが時間通りに動く社会で育った僕には、寒さが人の生活にこんなに影響するとは、ここに住むまでは知らなかった。

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(森のテント暮らし)

ユーコンの大自然でも、街にいればそれなりの楽な生活をすることができる。ただ自然の動きや些細な表情は、やはり郊外の自然へと出ていかないと、なかなか体感することができない。わざわざ不便な暮らしをする必要はないが、僕がこうして極北の森の中でテント暮らしをする訳は、自然の表情を感じたいからだと思う。

それは少し大袈裟に言えば、人間とは何なのか、大きな摂理の中で、どこに自分は位置しているのか。それを思い出させてくれるからであろうと思う。

寒波が終わり、ほっとした。同時にあの凍てつく寒さが、どこか恋しい気分でもあるのだ。

(極北のテント暮らしの記事はこちら↓)


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