プログラミング教育の基盤となる国語科教育② 論理的思考力が鍛えられる理由

例えば日本語を母語とする人同士でコミュニケーションをとる場合、一般的には母語である「日本語」という言語を使います。英語を母語とする人同士の場合では「英語」となるでしょう。
「日本語」や「英語」のように、人間が日常的に使う言語のことを「自然言語」と呼びます。それに対して、コンピュータのような機械相手にコミュニケーションをとるために利用する言語のことを総称して「プログラミング言語」と呼びます。

マガジン「論理的思考・表現の在り方(構造編)」で何度も述べてきましたように、自然言語でコミュニケーションをとる場合、特にそれが母語の場合などは「全てを言語化しない=論理的に飛躍がある」ことが常となります。つまり、そこには寄りかかることのできる共通の社会的・文化的・歴史的背景が存在することになりますので、省略され言語化されていない対象についても、察しや忖度をもって解釈されていくことになるのです。

しかし、コンピュータのような機械は「察しや忖度」はできません。当然、論理的な誤り・論理的な飛躍などは決して許されないことになります。よって、しっかりと論理について考えなければならないことになるのです。まして「プログラミング言語」は命令を記号化したものでありますから、「自然言語」からすると不自然に感じるものとなるものを表現していく必要があることになります。この不自然な言語についての論理を考えていくことになるのですから、論理的思考力は鍛えられていくことになるのです。

また、実際に自分の考える動作をさせるためには、その動作を構成するひとつひとつの動きに対応した命令(記号)を組み合わせていく必要があります。この組み合わせの流れのことをアルゴリズムと呼びます。
アルゴリズムには正解はありません。自分の考える動作をさせられるならばどのようなアルゴリズムでも構わないのです。しかし、現実世界への活用を考えていくと、アルゴリズムにはシンプルさ・効率のよさが求めれることになります。ここでも論理的思考力は鍛えられていくことになります。

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