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『Goodbye in '95』

当noteは、2017年10月28日にサークル「キンシチョウコ」より頒布されましたオリジナル小説『Goodbye in '95』のweb掲載版です。


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(本文32,587字)


登場人物

躑躅柘黄(つつじ しゃおう) 高校三年生
朱雀孔(すざく こう) 高校二年生

菖蒲(しょうぶ) 高校一年生
霧島(きりしま) 高校三年生

立月佑人(たつき ゆうと) 成人


1

 生まれて初めて出来た彼女に振られた。三ヶ月目のことだった。
「あの野郎、舐めやがって…柘黄さんの何が不満だっつーんだよ」
「野郎じゃなくて女だろ。大体、未だ番長が振られたって決まった訳じゃ」
 全部聞こえてんぞ。
 俺は目を開けて、遠目にこちらを見ながら噂話をしていた後輩たちに睨みをきかせた。彼らは俺が不貞寝しているとでも思い込んでいたらしく、肩をびくつかせて気まずく目を逸らしている。
 俺は唸り声をあげて起き上がり、定位置となっているソファに腰掛け直した。ぎしりと骨が軋む音がする。
 元々は運動部のために設えられたプレハブの、広めの部室だった。俺が入学した頃不祥事か何かによって廃部になったところを、教室一つ分の空間を放っておくのも勿体ない、と、教師の手が及ばないのをいいことに俺たちで好き勝手改造した溜まり場だ。テレビゲーム機や、毎週増えていく漫画雑誌の棚、子どもが持っていてはいけないものなど、まあ色々と置いてある。娯楽の少ないこの田舎で、喧嘩に赴く時とゲームセンターで散財する時以外は大抵仲間とここで時間を潰していた。
 付き合っていた彼女はこの場をあまり好いていなかったので近寄ろうとはせず、ゲームセンターも女を連れて行くには治安が悪すぎるので、デートらしいことといえば外を歩く程度のことしかしなかった。二人並んで歩いた下校の様子は密かに「美女と野獣」と評されていたらしい。
 彼女は女としてもかなり小さいほうで、そしてつぶらな瞳をしていた。同級生だったが、少女と呼ぶに相応しい、俺などが触ったら壊れてしまいそうな華奢な体つきだった。可愛い、とは一般的にこうものを言うのかと俺は初めて知った。
 後輩や仲間たちは、俺が彼女に告白され、それを受け入れたことを心底羨ましがった。
 だが、俺は彼女を好きだと実感したことは一度もなかった。
 可愛さとやらに心が擽られたこともないし、夏で薄着になった彼女を見ても何とも思えなかった。キスをしたのは数える程度だったが、その先には結局進まなかった。
 男と連んで馬鹿話をしたり、喧嘩で暴れまわったりするほうが気楽だった。
 彼女の告白を了承したのは、俺を慕ってくれている仲間に見栄を張りたかった、というのが一番だ。そんな風に、俺が羨ましがられるための材料に使った彼女には罪悪感を覚えていたが、最後辺りには、彼女に対して興味がないのだということは勘付かれていたと思う。
 「いつもつまらなさそうだったよ」と言い放った彼女の目付きは傷付けられたのだという悲痛さを訴えかけていて、俺は言葉を返せなかった。一方で、女もプライドが傷付くことがあるのだと他人事のように考えた。
 つくづく俺は、薄情な人間だ。
 散々仲間たちには「女が嫌がるようなことはやめろ」と、半ば自分を隠すために言い聞かせてきたが、俺が一番実行出来ていないではないか。
 自分の情けなさに拗ねるようにソファに身を埋めて、後輩にまで気を遣われる始末だ。
「そ、そう言えば、最近ここらの高校をたった一人で荒らしまわってる奴がいるって噂、知ってるか」
 俺の視線から逃れるように、後輩が話題をすり替えた。
「ああ、商業高校で作られたチームが丸ごと潰されたって。本当っすかね柘黄さん」
「あ?商業なんて大したことねえ奴らばっかだったじゃねえか。どこかの不良にやられたのが悔しくて話盛ってんだろ」
「そっすよね」
「でも俺、市外のダチにも聞いたんすけど」
 傍で漫画を読みふけっていた一年が顔を上げた。中学時代から顔が広かったらしく、色々な筋から情報を仕入れて来る奴だ。喧嘩はずば抜けて強い訳ではないが友達も多いようだし、二年後この高校はこいつの天下かもしれない。
「喧嘩慣れしてそうな高校生を片っ端から拳一つで潰してる男がいるって。何でもそいつは細身の体格から想像もつかない位力があるらしいっす。で、たった一人で殴り込んできた野郎に潰されたとあっては面子が保てませんから、皆あまり喋ろうとはしないみたいで、噂が広まりにくいらしくて。逆に、その強さに惚れ込んで舎弟になりたいって奴も結構いるらしいのに、何故かずっと一人で行動してるって」
 あくまで仕入れた情報をそのまま開示しているのだろうが、眉唾ものだ。
「はは…何だそれ。仮にそんな奴が本当にいるとして、強い奴を捜してるっつーんだったら真っ先に柘黄さんと俺たちのところに来るべきじゃねえか。ひよってんだろそいつ」
「…だな」
 後輩の一人の言葉に俺が言って鼻で笑うと、周りの奴らも緊張が解けたように笑った。
 情報だけ聞けば都市伝説のようにおどろおどろしい。しかし経験則から言って、前々から噂にあった、地元で鳴らしている奴程実際は大したことはないのだ。幽霊の正体見たり枯れ尾花だ。
 俺より強い高校生はこの街にはいないし、恐れるものはそうそうない。
 そう自分に言い聞かせてきたし、実際その通りになった。
「つーか、菖蒲はどこまで焼きそばパン買いに行ってんだよ」
 得体の知れない噂よりも、目下の問題は空腹だ。
「あいつパシリの癖にいつも遅いんすよね!舐めてんのかよ」
「一回しめたほうがいいっすよ」
 話題が変わって、部屋にいる俺たちは三々五々其々と話し始めた。情報をもたらした一年だけが喋り足りないようで、隣に座っている同級生に続きを話して聞かせている。
「で、そいつがいつも着ている特攻服、元々白かったのに、今では返り血で真っ赤に染まってるって。あと、情報を辿ってくと、順番に近いところの高校の不良を負かしてるみたいで、そろそろこの辺にも」
 一年の言葉は俺の耳には最後まで届かなかった。部室の扉を外から叩く音がして、俺たちは互いに視線を交わしてから扉を見遣った。菖蒲がいつものようにへらへらしながら入ってきたら容赦はしない。上下関係を教えてやらなければ、という建前の裏には、どうにも一年の菖蒲にはずっと見下されているような気がしてならないという苛立ちもあった。
「遅えだろうが!」
 扉がゆっくりと開き始めると、どすの効いた調子で一人が声を荒らげた。
「菖蒲、お前あんま舐めてっと…?」
 あげられた脅しの声は途中で途切れ疑問形に変わった。誰もが想像していた人物の影はそこにはなかった。
 俺はソファに腰掛けたまま、真正面からそいつの姿を見た。
「よお、ちょっとこいつのことでな、用があんだ」
 見慣れぬ長身の男は落ち着いた声で、微笑みながら右手に引きずっていた物体を示した。よく見れば気絶した菖蒲だ。鼻血を出しながら白目を剥いている。
「てめえ!うちの菖蒲に何しやがった」
 臨戦態勢取るべく立ち上がった面々を尻目に、俺は指を組んでじっと相手を威嚇するように見据えていた。
 いや、もしかすると、見蕩れていて立てなくなっていたのかもしれない。
 直感的に、その男は強いと気づいていたのかもしれない。
 不敵な笑みを湛えながら俺を真っ直ぐに見つめるその男は、真っ赤な特攻服に身を包んでいた。


2

「こいつのことが気に入ったんでな…舎弟にする。お前らのチームから抜けさせてやってくれや」
 男は至極気軽に言って、雑巾を水の入ったバケツに投げ入れる時のように、気を失った菖蒲を放った。とても舎弟にしようとしている奴の扱い方ではない。
 だが、実のところそれに対して憤れる程菖蒲を仲間だと思ったことはない。先週校内を歩いていて、たまたま缶コーヒーが飲みたくなった時にたまたま一番近くを歩いていた、この高校には珍しい、真面目で少し気弱そうな生徒が菖蒲だっただけだ。
 だから本当のところ、使いっぱしりが一人居なくなっても特に俺たちが生活していくにあたって特に支障はない。
 だが、部外者に言われて、はいそうですか、と引き下がるのは俺たちのような高校生の間では恥ずべきこととして認識されている。
「義理を通しに来たことは褒めてやる。だが俺たちのところにのこのこやって来て、ただで帰れると思うなよ」
 俺が口を開くと、男は愉快そうに破顔した。
「ああ、やっぱり番長はお前なんだな」
 それなりに威嚇したつもりだったが、男は無邪気に笑って俺を指差した。
「ああ!?てめえ、柘黄さんに生意気な口きいてんじゃねえよ!」
「舐めてっとただじゃおかねえぞ!」
 次々に浴びせられる怒号に一つずつ耳を傾けるように、男は笑みを湛えたままゆっくりと周りを見回した。頻繁に喧嘩をしているらしく頬に摺り傷が赤く残っているが、それ以外は綺麗なものだった。黙って座っていれば中々の美青年として通じそうだ。いや、年齢的には美少年か。
 何を考えているのだろうと我に返ると同時に、男は品定めを終えたらしく口を開いた。
「シャオー、だっけ?良い名前だな…お前はちょっと強そうだから最後に倒すのが綺麗だな。とりあえず全員ノックダウンさせたら菖蒲を貰うってことでいいな」
「あ?」
 仲間のうち一人が男に歩み寄って、至近距離で睨みをきかせた。スキンヘッドのそいつは腕っ節は大したことがないが、目付きの悪さだけなら校内一だ。気の弱い奴ならばその場で命乞いを始めるかもしれない。
 この男は違うだろう、という俺の確信は、やはり裏切られなかった。
 どご、と鈍い音がして、スキンヘッドは後ろに吹き飛んだ。顔面に拳を打ち込まれたのだ。後ろ向きに倒れながら吹き出した鼻血が放物線の軌跡を描いた。
 後頭部が硝子のテーブルに打ち当たって、辺りはその瞬間だけしんと静まり返った。
「かかれ!」
 仲間内では俺の次に強いと認められている同級生の霧島が叫んで、続いて俺を除く全員がおおお、と雄叫びをあげた。
 勝手に始めやがって、まだ俺が許可出してねえだろうが。
 と、声には出さずにいたものの、ソファの背に腰掛けている霧島には不満を見抜かれているようだった。
「お前が出るまでもねえよ柘黄…暫くは失恋の傷心を癒すことに専念しろ」
「誰が」
 しかも気を遣われている。こいつには叶わない。
 しかし。
 相手はどう見ても劣勢な筈なのに、簡単には倒れなかった。それどころか着実に歩を進め、部屋に侵入してきている。
 まず二人を拳一撃で立て続けに転がして、男は笑い声とも歓声ともつかぬ声をあげた。周りを囲んだ面々は一瞬呆気に取られて動きを止めてしまう。
「ほら、来いよ!来ねーならこっちから行くぜ!」
 軽く助走をつけて、殴りかかろうとしてきた相手に飛び蹴りを食らわせ、腹を押さえて前のめりになったところで頭を掴んで、膝蹴りが決まる。
 見事だ。
 感心している場合ではないと頭では分かっているが、見蕩れざるを得ない。無駄のない動きと、向かってくる相手の攻撃を上手く流す受け身。単純な力技で勝ってきた俺のやり方とは大違いだ。
 そして何より魅せられたのは、飛びかかってくる相手を倒せば倒す程輝きを増す目の色と、生き生きとした表情だった。男の顔を見ていると、俺の中で、得体の知れない衝動が湧き上がってくるのを感じる。こいつとはきちんと、一対一で戦ってみたい。だがその前に、この綺麗な動きを見ていたい。
 仲間が次々と折り重なって倒れていくのに、俺は仲裁に入ろうとはしなかった。途中で遮ることを躊躇すらしていた。
 我が校二番手の霧島は流石に、拳を二、三発食らった程度では倒れなかったが、連続の打撃に僅かにふらついて一瞬の隙が生まれた。男がそれを見逃す筈もない。胸ぐらを掴まれた霧島の体は次の瞬間浮いていた。
 背負い投げ、か。
 動作が速すぎて目で追えなかったので、霧島が転がっている状況から判断する。
 赤い特攻服の男の荒い息遣いだけが残った。
 俺は深く深く溜め息を吐いた。
「好き勝手人の持ち場で暴れやがって…ったく」
 俺はそいつと目を合わせてゆっくりと、出来る限りゆっくりと立ち上がった。
「お前、本当は菖蒲を舎弟にするとかどうでもいいんだろ」
 顎で示せば、男も視線を移した。倒れた男たちの下敷きになって、菖蒲の品行方正な白いワイシャツが覗いている。
「気持ちよかったか?喧嘩が出来て」
 俺は少しだけ怒気を含めて言った。こいつが散々向かってくる相手を飛ばしてくれた所為で、大切に保管していた高価な酒の瓶が割れてしまったし、色々な物や、少し高めのバイクのミニチュアが飾ってあった棚も滅茶苦茶だ。
「あー、ああそうだな。今の奴はちょっと手強かった。はー、痛え」
 そう言って、空腹だとでも主張するかのような気軽さで腹をさすった。強いとは言え、流石に大人数を相手にして消耗したらしい、よく見れば、唇は切れてより赤く染まっているし、顔には擦り傷が幾つも増えている。バットを持って襲った奴もいた所為だろう、額には痣が出来ている。酷使されて小刻みに震えている拳は腫れていた。だが彼の表情は、そんな損傷を感じさせない程に生き生きとしていた。まるでここが自分の立つべき場所だとでも言わんばかりだった。
 俺はその笑顔を、美しいと思ってしまった。
「気に入った」
「…あ?」
「お前、何て名前だ」
「…朱雀」
「良い名前じゃねえか」
 先程の朱雀の言葉を踏襲すると、彼はふっと息を漏らして笑った。そして一歩、一歩と俺の立つほうに歩み寄ってくる。
「なあ朱雀、今日はもう疲れただろ、弱ってるお前を殴って勝っても寝覚め悪いし、俺の立場も示しがつかねえからな、ここはお互い万全な時に改めてタイマン勝負だ」
 こいつは明らかに負傷しているし、俺は彼女に振られたばかりだし。
 と言っても、俺のほうは痛みを上手く思い出せなくなってきていたが。
 新しい刺激が強すぎて。
「おい、聞いてんのか」
 朱雀は応えずに、躊躇いなく俺の目の前十五センチの距離まで進んできた。俺のほうが僅かに背が低い。屈辱的だ。
「おいおい、気を削ぐようなことを言うなよシャオー、今のはお前とやり合うための…準備運動だろーが!」
「は!?…っ!」
 聞き返す余裕もなく、朱雀の拳が横腹に向かってきた。
 辛うじて腕で受け止めた、と思ったのも束の間、物凄い力が加わって俺は態勢を崩しそうになる。体格が良い訳でもないのに、こいつのどこから力が湧いてくるのだろう。
「お、おい待て」
 一旦身を引いた朱雀を止めようとしたのも束の間、今度は蹴りが飛んできた。普段ならば飛び蹴りを入れて来た奴の脚を掴んで投げ飛ばす位のことはするが、こいつの場合上手くはいかないだろう。だが頭がそう判断する前に、体が動いて朱雀の足に触れていた。腹に衝撃を感じると共に、足首を掴まれた朱雀もバランスを崩して、俺たちはもつれ合って倒れこむ。
「っ」
 後頭部がソファの骨組みに当たったが、ここで気絶する程俺は貧弱ではない。急いで身を起こし距離を取ろうとしたが、先に起き上がっていたのは朱雀だった。長身で手足も長いのに機敏だ。
「お?もう終わりか?ずっと座って見てたシャオーは『疲れた』俺に負けんのか?」
 俺は応えずに立ち上がった。口内で鉄の味がする。
 間合いが近すぎる。半歩下がってから、右手の拳を握り締めて朱雀の頬に打ち当てる。朱雀は避けなかった。だからと言って倒れることもない、ただ少しだけ重心をずらして俺の加えた力を流すと、これまで見せなかった満面の笑みを浮かべて、またもや殴り返してきた。
 まるで大好きな玩具を与えられた男児のような顔だ、と、抜けた歯が口の中を転がっていくのを感じながら思った。


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