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老後とピアノ
先日、稲垣えみ子の「老後とピアノ」を読み終えた。著者が40年ぶりにピアノを再開し、悪銭苦闘しながらもピアノの素晴らしい世界にのめりこんでいく様が書かれており、おもしろかった。
家内に「おれもピアノやろうかな」といったら「いいんじゃない、やんなよ」とお気楽にいう。子供たちがむかし通っていたピアノの先生に電話してあげようか、とまでおいこんでくるのでタジロイダ。
まぁ、ピアノは先延ばしにするとして(多分やらないだろうな、いや、やれないだろう。でも断念だけはまだしないでおく)、著者の老いに対する考え方がとても参考になった。私は読了後に、ピアノをランニングに置き換えて最終章を読み返した。本は自分への手紙だと思って。
今日、たとえばほんのわずかでも心地良く走れたら、良かったと思えばそれで良いではないか。先のないのが人生後半戦、先などないと思って行動すれば良いではないか。先ではなく今ここに集中するのだ。練習とは自分を掘り起こすこと。少しずつ少しづつ焦らずに。最後は情熱の問題。これからは、目標も野望も手放していく。小さな一瞬、まさに今ここに全てをかけるのだ。そして楽しむのだ。
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