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2019ウラジオストクの思い出

1年前の話ですが、2019年10月、3連休でウラジオストクに一人旅しました!
1週間前に、3連休なにしよ?と思いたって予約。関空から片道たった2時間、2万円! いちばん近いヨーロッパというのもわかる!

困難は人を繋ぐ

最初の衝撃はタクシー。空港から街には公共交通はなく、タクシーに乗る必要がある。寒い国だからかタクシー乗り場は屋外になく、カウンターで受付が必要。でもそこには長蛇の列!
ほかの手段がないかと思い、Uberみたいな配車アプリを入れてみたけど、拾える車がない。そこらの白タクに声かけてみたけどボッタクつてくる。諦めて並んだら30分後、行列に約10人強を残してタクシーが売り切れる…
途方にくれた見知らぬ日本人に声をかけ、4人で集まってみた。「どうしたらいいんやろ?」 アプリを押しまくって、ようやく車を1台確保できた…空港着いてから1時間半。
単なる移動のはずが、見知らぬ人と助け合う体験になった。

住めば都という実感

2つ目の衝撃は宿泊先。
「安いやん」と思ってBooking.comで1泊3000円くらいの民泊を予約していた。外観写真がぼけてたり、事前のやりとりが全てロシア語で来たり、怪しいなーとは思ってた。たしかに思ってたんだ。
タクシーで辿り着いた先は、想像以上の、お化け屋敷みたいなポロアパート。外扉は分厚い鉄でできてるのに、曲がってる。入ると廊下の塗装は剥げ、内壁には落書きや謎のビラが。不安がつのる。
なんとか入った部屋で出迎えてくれたのは、おばあちゃんだった。予想どおりロシア語しか使えない。でも伝える気があれば、身ぶり手振りだけでも通じる。床もベッドも傾いていたけど、部屋はきれいに整えられていた。意外と快適に過ごせた。

霧の底の街

朝、起きると街は霧の底に沈んでいた。
ヨーロッパらしい石造りの建物が地面を覆う。ときおり現れる公園が嬉しい。
駅前にパラソル広げピロシキ売るおばちゃんも、分厚い本を読んでいた。日本みたいにスマホばっか見てる人はいない。思索の街だ。でも、外を歩く人は皆、無表情に見える。
モノクロの世界は、エンデの『モモ』の世界みたい。
きれいだった。見るものは優しく美しかった。でもなんか閉塞感があったからだろうか、もう1回行かなくてもいいなと思った。

感情を動かすことは、ギャップだという。
こうなるだろうという予想・安心感・現状の延長から外れないと心は震えない。お笑いでも、普通のひとが普通どおりすることを外すから笑うし、ホラーでもふつうの光景の裏の恐怖を認識して怖くなる。
このギャップを作るには、現状を認識したうえで、現状に対してどう外れるか試行錯誤する必要がある。でも、行き当たりばったりで、不完全なまま試してまわる人が少ないように思えたのが、きっと閉塞感の正体なんだろうなーと、いまは思う。
試すことのリスクが大きいと、心がうごく体験が生まれにくいのかな、と思った。

とここまで書いて、いまの日本にも、似た閉塞感が漂いつつある気がしてきた。

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