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アメリカに行って感じた文化の違い②

2018/4/3
アメリカと日本の違い、その2です。
仕事のうえでは、イノベーションを生むことが求められます。これが難しい。

こちらで仕事をしていて、日本と一番違うなと感じたのが、「あなたは何をしたいの?」「あなたの価値は何?」と厳しく問われることです。
学会やMeetupのような意識高い系(笑)が集まるイベントだけじゃなくて、仕事中でも、業務外で社外の人と飲むときでも、はたまた帰り道のUBERで話したりしたりといった、何気ないシーンでも、直接的間接的に問われます。
どう答えますか?ぜひちょっと、想像してみてください。

1つ目の「何をしたいの?」という問いに対し、「我々の会社(あるいはプロジェクト)のビジョン(目標)は…」と言おうとしましたか?僕も最初そう言いました。
そうすると、「ちょっと待って、その話はいいから、あなた個人のことを聞きたいの」と遮られたりします。

2つ目の「価値は?」という問いは、もっと強烈です。
つい、答えられなくなってしまいませんか?

ここシリコンバレーでまず問われるのは、個人の想いなんだと思いました。
「個人主義の国やろ」と他人事扱いする前に、ちょっと想像してください。サンプル、プロダクト、イベントなど、何かを創ろうとするときに、同じモノを作るとしても、自分がやりたい、楽しいと思ってやっているほうが、真剣になるし、いろんな工夫をしようという気になります。
これが、何人もが集まって取り組むことならなおさら、「いいね」と共感して同じポジティブな思いをもつことは大切です。
その人の想いが深くて共感したくなる、もしくは時代の先をいっていて納得したくなると、そこに人や金が集まりビジネスが大きくなる。そんな共感のエコシステムができていました。

そのうえで、「何ができるの?」「どう貢献してくれるの?」と問われます。自分の思っている強みやできることと、そこで求められることは、えてして違います。冷静に、自分に客観的にならないと、答えられません。
そのビジョンを実現するにあたって、どう貢献できるのか。
一緒に仕事をして「いいヤツだな」と思う、あるいは「助けてくれてありがとう」「頼りになるぜ」と思う、そんなシーンがあることが、価値があるということだと思いました。

こんなことを感じ、新しい思考体系をインストールされながら、日々生活をしています。

人間としての価値を問われていてふと、
ものづくりにおける商品の価値も同じだろうな、と感じました。

ユーザーが商品を手に取り、使い始めてから…
使っていて「いいな」と思えば思うほど、あるいは「ありがとう」「頼りになる」と思うほど、この商品はいい商品なんだろうな、と思うでしょう。
この気持ちが生まれるのは、自分の体でその商品を使っている場面、五感で体験している場面です。

例えば疲れて帰ってきて何も考えたくないときにお風呂に入って、ふと、ほっとした瞬間、人は一日を振り返り、明日も生きようと感じるでしょう。例えばキッチンで料理をしている瞬間の包丁のリズムにふるさとを思い出し、小さな安心を感じることもあるでしょう。

価値は、体験した瞬間に生まれるのだと、思います。
ここでは特に、この「体験価値」を重視しているようです(このようなイノベーションの『型』がいくつか、どうやらあるらしい…)。

自分の商品は、どんな「いいな」「ありがとう」を生み出せるでしょうか?
どんな、使う人にとって価値ある体験を生み出せるかが、その商品の質を決めるのだと感じました。

振り返ると、これまで仕事して違和感感じたときは、
しっかり分析して「こんなニーズがある」とデータでは示されているのに、
「これって自分ほしいと思わないな」「ぴんとこないな」と感情的に思っているときだったように思えます。
これが、価値を生み出す体験に結び付いていなかったんだなぁと思いました。

こうして新しい考え方、新しいものの見方を学べるのは、とても素敵なことです。
いままで「当たり前」と思っていたものが、実は当たり前じゃなかったと
気づかされる新鮮な驚きは心地よいものです。
これからも、盲目的に「こうすべきだ」と言うんじゃなくて、いろんな考え方を素直に受け入れ、
感情的に「これがいいんだ」と言うのでなく、その時々でベストプラクティスを活用できるような人になりたいと思っています。

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