人によって長かったり短かったりするのはなぜか
ある日娘から表題のように聞かれた。
お弁当箱から取り出した長いお箸を見て、友達が「短っ」と言ったんだそうだ。「私は長いと思うのになぜ友達は短いと言ったのか」と思ったみたいだ。
いやはや小学校低学年の娘から相対主義的な質問を受けるとは油断できない。
そりゃ人によって長いと短いの閾値が違うからなんだが、この質問には丁寧に答えないといけない。
相対主義とは、例えば「善」や「幸せ」みたいなやつを考える時「人それぞれだよね」ってするやつだ。この考え方は、思考がそこで停止してしまうので僕はしないようにしている。
会社経営において「人それぞれ」と考えてしまうと会社員全員を幸せにしたいと思った時に一人一人個別にアプローチしなくてはいけない。それはすごくコストがかさむので、幸せの共通水脈的なものを探して「幸せの素」を流して個々の下流へ届けなければならない。
会社経営を娘がしないにしても、衆愚政治に参画させるわけにはいかない。
多数決で決める世の中において「人それぞれだよね〜」って理解のある国民100%だと、どんな政策でも「人それぞれだよね~、だからなんでもいいよね~」ってなことになって、どんな政策でも良いことになってしまう。
すると扇動家が「これサイコー!」とか「あの国まじ敵だから!」とか言い出して、票を左右する衆愚政治が始まる。
娘にはそんな衆愚政治の一員になってもらいたくない。
ただ、扇動家に食ってかかって処刑されるソクラテスよろしく「なんで?なんで?」「なにそれ?どゆこと?」みたいにドツメするようになると嫌われてしまう。
以上より、娘にいたずらに「人によって閾値が違うからだよ」と教えたくないが、娘を処刑台に送るわけにもいかない。「人によって閾値が違うからだけど、どこから長いかクラスで意識合わせようか」と言いたいが、面倒くさい奴待ったなしで嫌われそうだ。
どう教えたらいいだろうか。
返事をひっぱりすぎて本人はもう忘れていそうだ。
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