「根は良い奴」という評価は意味がない
「あいつ根は良い奴だからさ」みたいな評価を良く聞く。「性格が悪いやつのフォロー」として機能していそうだ。
だが、「根はいい奴」だからなんだというのだろう?僕達は「根」以外の部分と付き合っているのだから、そのフォローを聞いたところで僕達の振る舞いは変わりようがない。
そうだな、「根」というくらいだから土の中に隠れているとしよう。僕達は土の上にある「葉っぱ」や「花」といった部分でコミュニケーションをとっているとしよう。
僕達にとっては「根」が良かろうが悪かろうが、土の中に埋まっているので観測できない。
「葉っぱ」や「花」でコミュニケーションをとっている以上、「葉っぱ」や「花」の“良さ”しか意味をなさないのだ。
じゃあじゃあ「あいつ根は良い奴だからさ」というコメントに意味を持たせるならば、「時間かけて掘り返して根まで見てあげてよね」といったところだろう。
これは難しい。現代の忙しい僕達にとって、土の中の根の良し悪しを判定するためにスコップで土を掘り返さなくてはいけないコストは見逃せないのだ。
さらに最近は勝手に「根」を掘り返す行為はハラスメント判定されてしまう可能性すらある。現代においていよいよ「根が良い人」というのはただの「良くない人」でしかないのだ。
では「根は良い人」はどうすればよいか?
周りの人に見えるところに良さを配置するしかない。つまり「葉っぱ」や「花」が"良い"という状態にする。
これはいわば「アピール」であろう。自分は良いやつですよという「アピール」である。
「根が良い人」というのは良い人アピールを美徳としないところがあるからこそ「根だけ良い人」になっているはずだ。この美徳は邪魔だ。どんどん良い人アピールしていこう。
良い人アピールは確かに浅ましさやあざとさを相手に植え付けるが、「良くない人」判定よりは”まし”だ。