いちばんすきな花 多数派の辛いはわがままなんですか
第4話も染み入った。フィクションを通じて自然に自らを省みてしまうのは、とてもすごい創作なのだと思う。
一方、好みでないという理由に、内省的すぎるとか、リアルじゃないとか、誰にも共感できないとか、見方によってはそうだなと思うようにした。エンタメとして眺めるか、鏡として思考するかの違いなのかもしれない。
共感できないから嫌いっていう回路はどうしたら形成されるのだろうか。共感できない物語があるから豊かなのに。(小言)
とにかく、わたしは好きだこのドラマ。理由は要らないやつ。
※良いとか悪いには理由がいるけど 好きとか嫌いに理由はなくてもいいんだよ(多部未華子さん演じる潮ゆくえさんの文字起こし)
本題、今田美桜さん演じる夜々のこぼした「多数派の辛いはわがままなんですか」が今回の刺さりポイント。
たまたま読んでた「排除と差別の社会学」なる書籍と繋がる感想だった。(屠場、メディアの責任、ジェンダー、障害、ハンセン病、ユニークフェイス、ひきこもり、新卒採用、外国人、部落がトピック)
「女の子でいるのが辛い」という夜々にしかわからない感情を保健室の優しい先生に吐露した結果、診察・診断されそうになった悲しみはリアルだった。
これは優しい人、マイノリティに理解がある方の人がやってしまいがちなことかもしれない。
LGBTQのどのカテゴリーなの?性的指向は?といったもの。そういう話じゃないんだよ‥。
「マイノリティって辛いよね。そうじゃないなら恵まれてるよね。」という語りを予見して心を閉ざした夜々。たぶん。
個人的な辛さは、何とも誰とも比べることはできないということ。不幸を序列化して比べていったら、どこまでもどこまでも下降していき、己の不幸などちっぽけなものだと諭されてしまう。そういうことじゃない。
わたしはわたしの辛さを溢しただけで、「多数派だから大丈夫でしょ?」なんて話はどうでもいい。他人からみたら恵まれている環境だって時には暴力的に辛いときだってあるはずだ。(ひとりひとりが地獄を抱えているもんだと語った宇垣美里さんにシンパシー)
〜以下、他の参考 寄り道〜
不幸なことに不幸がなかったパンクロッカーは不幸だ。(アイデン&ティティの峯田和伸さんが演じた役者より)
多数派の立場からは響かない言葉があるから、AV女優になった戸田真琴さんもいる(大森靖子さんのMという曲をきいてほしい)
容姿が優れすぎていると、俗世で生きていくのが難しいというのは、現代で最も気付かれづらい差別かもしれない。(これも戸田真琴さんの著書で言っていたことと思う)
容姿が優れすぎている人たちの逃げ道として、異能者としての芸能があったのかもしれない。(いまは誰でもSNSで発信して、比べての連鎖で相当苦しいと思う)
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と、取り留めのないことになってしまったけど、多数派で恵まれている方だと思われている誰でも、独自の辛さがあることを罪だと思わないでほしい。恵まれない環境に想いは馳せど、罪の意識になることは違う。
それぞれの地獄を、なんとかするのが生きることかもしれん。
あじさいが、すきだと知ってくれていた電話のエピソードは本当に救われた