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人生の分岐点(4)

ケアマネージャーになってからは壮絶な日々だった。

資格取得に最低5年かかる以上、基本ケアマネは40代以上の福祉職歴10年以上の人が多い。
その中でも僕が所属した事業所はケアマネ資格誕生以来、長崎県でケアマネの講師をしている管理者率いる優秀な居宅介護支援事業所だった。

市内や市外で他事業所のケアマネと会っても、「あの〇〇事業所の?」と言われる日々だった。

僕は福祉業界で出世して家族を養っていくためにケアマネになった。
一番上は施設長なわけだが、ケアマネとして働き始めた途端「この人たちより優秀にならなければいけないのか...」と毎日焦っていたのを覚えている。

誰よりも率先して仕事を引き受け、誰よりも夜遅くまで残り、誰よりもプライベートで医療や介護に関する勉強をする日々が4年ほど続いた。

息子が生まれてからは、「もっと頑張らないと」といった気持ちは日に日に大きくなっていった。

どれだけ頑張っても、助けられない高齢者がいたし「自分のせいであの人は死んでしまった」と苦しくてたまらない日々をすごした。
ケアマネのちょっとした言動は、担当した高齢者や家族の人生を左右する。とてもお金のためにする仕事ではないと思った。

そして国が定めた介護保険制度上、「稼げない」ようにできていることを知った。
周りのケアマネはそんなこと百も承知で、単純に高齢者が好きで仕事をしている。それどころか人のために自分の時間を犠牲にして、それを自己犠牲とは思わず「地域のために」と本気で思っているような人たちだ。
それに比べて僕はどうだ?出世のために仕方なく苦しみながらケアマネをしている。
勝てない...と思った。好きでしている人に勝てないのは当たり前だ。

毎日、夜寝るのが嫌だった。寝ると朝になるから、朝になると仕事へ行かないといけないから。今思えば大分追い込まれていたと思う。

そんな中2019年のゴールデンウィーク前にたまたま堀江貴文さんの「情報だけを武器にしろ」といった本を手に取った。
僕はアナログな人間で、スマホもパソコンもろくに使えなかった。
でも堀江さんの本をきっかけに「この人生は1度しかない自分だけの人生だ」「もっと世の中の事を知らないといけない」と思うようになり
ニュースサイトを見るようになり、Twitterのアカウントも作った。

すると西野亮廣さんや落合陽一さんのことが好きになり考え方や世の中の見え方が変わっていった。

Twitterを見るようになって、ある日「プログラミング」という言葉が目に留まる。
僕は聞いたこともなかったのだが、調べてみたり初心者向けの動画を見たときに雷に打たれたような衝撃を受けた。

「これだ...」
物心ついてから、何も「やってみたい」とすら思うことのなかった僕が生まれて初めて「この仕事はやってみたい」と心から思えた。

もう30歳、僕の遅すぎる挑戦が始まった。

低収入、子供もいる、プログラミングスクールに通うお金は準備できない。
ケアマネの激務のままでは勉強する時間を確保できない。

プログラミングを独学で身につけるため、いろんなものを捨てることに決めた。
仕事で残業はしない(人に何を思われようと甘んじて受け入れる)
冷たいようだが、高齢者に過剰に感情移入して自分を犠牲にする考えは捨てた
テレビや映画、ゲームなどの趣味の時間は捨てた
休みの日だろうと朝は寝ないようにした

これは現在までの10ヶ月続いている。先は見えない。

人からは順風満帆で、何でも上手く行っていて、要領も良いと思われているようだが、色々あった。むしろ挫折ばかりの人生だった。

でもいつか、今の努力が遠い未来に「あのとき頑張ったから今がある」と思える日がきっと来る。
今やらなかったらその遠い未来に必ず後悔する。

だから「今、この時」が僕の「人生の分岐点」

「たいき、圧倒的な努力を!頑張れ!」By西野 亮廣

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