「脱時間給」という言葉の誤りはこれだけある。
時間ではなく成果だ。
脱時間給だ。
日経新聞あたりが鐘や太鼓で大騒ぎしていた言葉です。
最近では、テレワークに引っかけて時間ではなく成果で測るべきだ、等とも論じているようです。大きな間違いです。
1.「脱時間給」という言葉は、インプットとアウトプットの違いも理解していないのです。
労働力はインプットであり、その測定方法が労働時間だということにすぎません。
アウトプットをどのように測るのかの工夫が今まで不十分だったのでしょう。そのために長時間働いている人を真面目な人と高く評価するような奇妙な風潮があっただけです。
「時間ではなく成果だ。脱時間給だ。」というのは、労働力がインプットであり、成果としてのアウトプットは別途測定しなければならない、というごく当たり前の視点を見失っているだけです。
労働力の無駄遣いは許されません。それは経費を無駄遣いするのと同じです。
労働力は貴重な経営資源なのです。
同じ労働力の投入でより多くの成果があげられるならば、それに越したことはありません。同じ成果を上げるのに投入する労働力を少なくできればそれに越したことはありません。それが生産性の向上なのです。
2.「脱時間給」は成果の計り方の現実を見ていません。
まともな企業なら、少なくとも正社員を評価する場合には、業績や本人の能力の向上、周囲の人とのチームプレーの巧拙など、様々な要素を考慮して判断しているはずです。
3.「脱時間給」は、過重労働、過労死・過労自殺を生じかねません。
「時間ではなく成果だ。脱時間給だ。」というのは、労働時間に応じた賃金を払おうとせずに、労働者をこき使うための屁理屈に過ぎません。
4.粗雑な成果主義はイノベーションを損ないます。
成果の測り方は、おおざっぱでよいのです。そのいわば緩い遊びの中で、イノベーションが少しずつ積みあがってきたのではないでしょうか。そのようなおおらかさがこの国の働きかたの良さだと思います。
今までも毎日毎日どれだけの成果を上げたとガチガチ絞り上げるような会社は、労働者を疲弊させるだけです。非効率を生むだけなのです。
5.労働時間はこれまで以上に厳しく管理すべきです。
無駄なインプットを防ぐためです。労働者の疲弊を防ぐためです。
なかんずく、労働から離れた家庭生活や社会生活を大切にすることで、その国をその国民を繁栄に導くことができます。
欧州のような厳格な労働時間管理を我国でも行うべきです。
勤務間インターバルを義務づけて労働者の生活を守るべきです。
ホワイトカラーエグゼンプションはアメリカだけの珍妙な制度です。欧州では、ほとんど普及してはいません。
このあたりは以前にも論じてきましたが、また別途ご紹介します。
本日、日経新聞の次のセミナーを視聴しながら感じたことです。
番組の中で次の質問を投げかけて柳川先生から賛同いただきました。それらを膨らませたのがこの記事です。
参加型Webセミナーで皆さんの質問・疑問にお答えします!
「アフターコロナを考える Special版」
(講師:東京大学大学院 柳川範之教授)
銅鑼猫からの質問
①脱時間給という用語は適切とは思われません。労働力はインプットであり、その測定方法が労働時間です。アウトプットをどのように測るのかの工夫が今まで不十分だったのでしょう。
②成果の測り方は、おおざっぱでよいですね。そのいわば緩い遊びの中で、イノベーションが少しずつ積みあがってきたのではないでしょうか。そのようなおおらかさがこの国の働きかたの良さだと思います。
(注)冒頭のおじさんのイラストは、たまたま手元にあったので使っただけです。
見識ある年配者のイメージを表しただけで私の顔とも全然違います。
日本紙芝居型講師協会に提供頂いたイラストです。
日本紙芝居型講師協会
銅鑼猫