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10年越しの「潜在的カリキュラム」 ー絶対零度の日本史講義

 「△△の勉強が苦手だったのですが、〇〇先生に出会って変わりました。先生の授業はとても分かりやすく、飲み込みの悪い私にも親身に接してくれたんです。先生に習ったおかげで、△△が得意になるだけでなく、勉強自体も好きになれました。だから私も、〇〇先生のような教師になりたいです」

 「先生」と呼ばれる立場、特に学校教員の場合、上のような動機でその道を志す人が多い。「△△の勉強」を部活動や特別活動(学校行事、生徒会活動など)に置き換えても成り立つ「テンプレ」だろう。特定の「恩師」をロールモデルとし、かの人へのオマージュ(あるいは批判的継承)から始め、経験を積むなかで自らのスタイルを確立していく。その過程で受け持つ児童・生徒の中から新たな教師が生まれ、教育という営み、学校という場所に肯定的な「先生」が再生産されていく。
 しかし記憶というのは不思議なもので、「過去に関わったあの人・出来事は、今の自分にどうつながっているのか」と問いを立てると、同じ人・出来事を選んでも、時によって解釈が変わる。時には肯定/否定の評価すら覆ることもある。
 この人のようには恐らく一生ならない。しかし、間違いなく今の自分に大きな影響を与えている。私にはそんな「恩師」がいる。その先生の授業はいわば、「絶対零度の日本史講義」だった。

1.効率と成果が全ての講義

 高校卒業後、大学受験で惨敗した私は、ある大手予備校に「進学」することとなった。所属する校舎はある難関大に特化した校舎で、講師も生徒も最高レベルだと言われていた。日本史の講師は2人おり、片方はベテランの「超有名講師」。しかし受講生は校舎が決めた時間割に従うほかなく、日本史の担当は「じゃない方」だった。
 高校時代、教科専門性に強いこだわりをもつ先生から薫陶を受けてきたこともあり、日本史は私が人並外れて得意かつ深く愛する科目だった。社会科教員を目指し、志望校は日本史を専攻できる学部学科のみで固めていた。
 予備校の授業ってどんな感じなんだろう。教室を興奮の渦に包むような、凄い授業をしてくれるのかな。そんな淡い期待は、一瞬で打ち砕かれた。
 衝撃だった。とにかく熱量がない。テキストに載っている事項を(接続詞だけ少しクセをつけて)淡々と説明していく。眠気覚まし以上の意味は持たないであろう雑談を時折挟み、超有名講師と懇意にしていることもさりげなく伝える。ごく稀に、入試でよく問われる箇所についてのみ板書をして、テキストの余白に写すよう促す。ある同期は「あいつマジ眠いし」と愚痴り、しばらくすると教室で姿を見かけなくなった。
 夏に行われた模試(特定の大学に特化していないもの)の日本史Bで、私の偏差値は81だった。校舎スタッフにも褒められ、意気揚々と日本史の授業に向かう。講師が手元の資料を見ながら「トップの人は、偏差値81も取ってるんですね」と言う。やっと実力を認めてくれたか。そう思ったのも束の間だった。

「まあ、二次試験には関係ないですから」

 と告げ、そのままいつもの講義を始めた。日本史1科目でイキったって無意味だよ、とでも言いたげな冷たさを匂わせながら。その後、他科目の成績が伸び悩んだことも重なり、私の授業態度は次第に受け身になっていった。
 センター試験を前にした最終講義。彼は受講生たちを前に、こう告げた。

「結果出さなきゃ意味ない」

 志望校合格に向けて、こんな思いで、あれもこれも我慢して、○時間頑張った。そんな「気持ち」に意味はない。この校舎で1年間、何のために学んできたのか。その答えは、あの大学に合格できたかどうかで全て決まる。だから、結果を出せるように努力しろ。
 彼の装い(服、眼鏡、時計)は稼ぎの良さを匂わせ、振る舞いには人気講師としての自信がにじんでいた。
 結局私は「結果」を出すことができず、併願していた私大への進学を決めた。よりによって、彼が出た(注1)大学。あんな奴大嫌いだ、大学で本物の「歴史学」を学ぶんだ、と息巻きながら。

(注1)ある日の講義で森喜朗元首相に触れ、「この人、大学の先輩なんだけれどもー」と話していた。

2.天敵が恩師になった日

 しかし、大学で日本史学を専攻して学んだことの一つは、歴史(学)がいかに社会から軽んじられているか、ということだった。
 そもそも大学内における文学部の地位が低い。課題に喘ぐ社会科学系や理工系の学部の人からは「あそぶん(遊んでいる文学部)」と蔑まれる。学部内でも、花形の学科は社会学と心理学。史学系は「受験を終えてまで歴史をやりたい人」と見なされていた。進級後には「文学部不要(必要)論」が論壇を覆った。
 就職活動中には、学科の同期から同じような愚痴を数多く聞いた。応募書類には卒論のテーマについて書く欄があり、当然面接でも研究内容について質問される。就活では「コミュニケーション力」が問われるので、一応答える。しかし面接官はそのテーマに全く興味を見せず(注2)、ふうん、へえ、などと流して次の質問へと進んでしまう。面接で聞かれるというから卒論もある程度進めてきたし、説明の仕方も考えてきた。でも何も意味がなかったじゃないか、と。
 実際のところ、歴史学を通して身につく「スキル」はあるのだが(注3)、面接官も歴史学専攻でない限り知る由もない。同好の士とぬくぬく群れてきた文学部生は、リクルートスーツの黒海に放り込まれ、自分たちが日陰者であることを再び突きつけられた。
 私自身は「地域づくり」の業界に数年身を置くなかで、火急の課題が迫っている現場においては(中途半端な)学識がいかに役立たないかを実感した。

(注2)歴史学には、高校の教科書に載っているような事項を「あまりにも有名な」と表現する風習がある。世間ではあまり知られていないテーマについて、先行研究が到達できていない視座から考察しようとするのだから、研究内容は自然とマニアックなものになっていく。
(注3)歴史学研究における基礎スキルとして、例えば「史料批判」がある。人は記録に残すことを選別したがるし、自らに都合良く表現したがるものだ。その点を踏まえ、史料(文字媒体に限らない)を批判的に読み、多角的な視点から「史実」に迫ろうとする。この作業を通し、資料を収集・選別・解読する能力が身につく。もちろん、自力で取り組めば、の話だが。

 少し前、検索窓に名前を入れたわけではないのだが、かの講師のインタビュー記事を読む機会があった。大学で得られる学び、大学入試問題(日本史)の勉強法、受験生に向けたメッセージ。必要な情報を端的に、のスタイルは相変わらずだった。しかし、あの「絶対零度」からは考えられない熱い言葉も数多く並んでいた。
 記事を読み終えた時、ふと思った。「絶対零度」は、受験生に講義で何を届けるか、を考え詰めた結果たどり着いたスタイルなのかもしれないと。
 教育社会学に「隠れたカリキュラム(hidden curriculum)」という概念がある。学校で子どもが学ぶことには、明文化された教育課程(学習指導要領など)の他に、意図されずに習得される不文律のような事柄(注4)もある、という見方である。大学受験対策を目的にしたあの日本史講義は、結果として「学校と社会の違い」を学ぶ場となっていた。

(注4)例えば学校の教室において、「前を向いてください」と言われたら、多くの人は教壇がある黒板の方を向くだろう。実際のところ教室は直方体の空間で、「前」は二次元平面だけでも4通りある。しかし、机が向いている方向、机に向かう人と前に立つ人の関係性、教壇から机へ一方的に講義がなされること、といった時間・空間の設計を通し、教室で「前」といえば教壇がある黒板の方だ、という不文律が「教育」されていく。学校以外での「教室」(例えば自動車教習や社員研修など)を滞りなく開けるのは、多くの人が「教室」での振る舞い方を「隠れたカリキュラム」で教わってきたからである。

 学校に通い、「今・ここ」を謳歌していればよかった頃は、「みんなちがって、みんないい」(注5)と信じていられた。定期試験で酷い点数をとっても、代替課題を出せば「がんばったから」許してもらえた。行事など、教科外の活動で芳しい成果を出せなくても、「がんばったから」絆、汗、涙に自己満足していられた。「諦めなければ夢は叶う」「君たちには無限の可能性がある」。素直な人ほど幸せな神話に包まれていた(注6)。
 しかし、進学や就職に向かう「選抜」の場で、「がんばったから」は決め手にならない。合格水準に達さなければ門に入ることすら許されない。門に入れた後も「査定」は続く。民間事業、公務、研究、いずれの世界であれ、何かに従事する以上は「成果」を求められる。
 おそらく先生は、予備校講師という業界で、厳しい「査定」のなかを生き延びてきたのだろう。近著(参考書)のまえがきに「私の授業を支持してくれた生徒」という一節を見かけた。授業や参考書が「顧客」に支持され、受験生を志望校合格に導く。それが予備校講師として最も重要な「成果」なのだ、と行間ににじませるかのように。
 受験勉強における理社は、仕方なくやる教科という側面が強い。点数配分が英数国に比べ低く、知識の詰め込みである程度通用する(注7)。「四当五落」(注8)は昔の話で、受験生はコスパ良く合格最低点辺りをさらって受験を切り抜けようとしている。特に歴史系の科目は、大多数にとって暗記と眠気との闘いとしか思われていない。そうした「需要」に応える「供給」は、無駄な暑苦しさを封じ、受験に必要なポイントだけを端的に伝えることだ。(推測の域を出ないが)「絶対零度」は、このような考察を経て出された答えだったのではないか。

(注5)金子みすゞ「私と小鳥と鈴と」の末尾にある一節。「特別の教科 道徳」の文脈で語られがちだが、多くの場合小学校の国語で扱われる。
(注6)苅谷剛彦は、「ゆとり教育」の施行直後に、学力下位層ほど自分の現状を肯定し学習への意欲が低い傾向にあることを統計調査から導き、教育において階層・地域の格差に加え「意欲格差」が生じていると指摘した(苅谷剛彦『階層化日本と教育危機 ー不平等再生産から意欲格差社会(インセンティブ・ディバイド)へ』(有信道高文社、2001年))。
(注7)理社の場合、①直前まで学校での未習範囲が残る、②早めに暗記してもまた覚え直すハメになる、③夏までは英数国の基礎固めを優先すべき、といった理由から、夏までに英数国、秋から理社、が一般的な受験勉強の戦略とされている(批判もある)。
(注8)「4時間しか寝なかった奴が合格し、5時間も寝た奴は落ちる」と言われた時代があった。人間の標準的な睡眠時間は6〜7時間程度と言われている。


3.教養と実利の間で

 「このページに多くの連語表現が載っていますが、全部を一気に覚えるのは大変だと思います。出題頻度を段階分けするので、重要なものから優先的に覚えていってください。ではいきます」
 最も重要なもの、時折見かけるもの、一部の学校でごく稀にしか見かけないもの。教材に箇条書きされている表現を3グループに割り振り、この表現はこのランク、と次々述べていく。生徒は聞き落とすまいとメモを走らせる。自分の発する言葉が、生徒の手を動かしている。
 入試問題や塾・予備校の授業を「小手先のテクニック」と毛嫌いし、「子どもたちに本当の学びを」と息巻く人もいる。しかし入試問題は、受験者の学習達成度を判別できるよう緻密に作られている。特に難関校の問題は「良問」として大人の嗜みになることもある(注9)。奇怪な難問はごく一部であり、大半は基礎の確かな理解を問うている。

(注9)出口汪『東大現代文で思考力を鍛える』(大和書房、2013年)など。

 私が対策授業を受け持つ高校入試においても、その要素は概ね同じである。例えば英語の読解問題においては様々なテーマが扱われる。AIや環境といった定番のテーマから、GPSの仕組み、ジェンダー・ギャップなど、実に幅広い。もちろん解答の前提となるのは語義や構文の知識である。しかし、他教科の知識や時事問題への理解を備えていれば、読解はよりスムーズに進み、作文の内容も豊かになる。
 ゆえに、「この単語がよく出る。覚えろ」と単に暗記させるだけではどこかで頭打ちになる。しかし「教養」めいたことを熱く語るだけでは、生徒の方が絶対零度になってしまう。
 塾や予備校の授業は、月謝と引き換えに受験に必要な知識や情報を得る(届ける)、という契約のもと成立している。少なくとも講師は「成果」を求められる。生徒もいずれ「査定」の世界に身を投じることになる。受験の「潜在的カリキュラム」は「上手く努力すれば報われる」だ。
 「受験の先につながる学びを」「結果出さなきゃ意味ない」。複雑な想いを抱え、私は今日も沸点と絶対零度の間でゆらいでいる。

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