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目標設定は、「約束した結果のため」ではなく「道のりの学びを得るため」にやる

こんにちは。DeployGateの藤﨑です。

最近、「note読んでるよ」と言ってもらえることが増えました。このnoteは、主に同業の人や会社に興味のある方に向けて、会社における自分自身のことを書いていたのですが、最近はそれ以外にいつも行っているコーヒー屋さんだったり、十何年来に会う友人からも「読んでるよ」と言われる機会があり、広い層に読んでもらっているんだなと感じています。書いていることは会社のことがメインですが、内容はビジネスではなくひとりの人間を通して見た世界を書いているので、それを楽しんでもらえているのかなと思います。

今月は、久々に長めのゴールデンウィークを満喫しながらいろんな出来事があり、自分の中で「目標設定」にまつわる変化があったので、その辺りの話を書きたいと思います。

何かプラスになっていることがあれば、まずそれをよしとする

毎年5月といえば、ゴールデンウィークがある特別な月です。自分にとって今年の5月はとても濃密で、それでいてあっという間に過ぎていきました。主にプライベートの面で感情的に忙しく、4年ぶりのアメリカ滞在を楽しんでいた最中、突然若い頃の自分を支えてくれた方が亡くなったとの訃報を受け、気持ちとしては上にも下にも大きな幅で動き続ける落ち着かない月となりました。

そんな落ち着かない心、特に下向きな時は何を見てもネガティブになりがちな心を落ち着かせるためか、気がつくと自分の中でぼんやりと意識し始めたことがありました。それは、とにかく「何かプラスなことが見つかれば、まずはそれをよしとする」ということです。

ゴールデンウィークに入る少し前の3月後半、私は自分の持つ完璧主義的な指向からの脱却を試み始めていました。私は昔から、物事に一つでもdoneではないという部分があると、全体として「できていない」と捉えがちでした。こと自分自身のやることになると、できている点があっても、そこは盲目的なまでに見えておらず、完璧を求め続けては息切れしてモチベーションがどんどん下がっていく負のスパイラルに陥りがちでした。

今回、アメリカ滞在中の気分の上下を繰り返す中で、自分自身が「できていない」と捉える場面にいくつも直面しました。しかし今回、幸いなことに、そこで一緒にいた人々や出会う人々の中に、自分とは異なるポジティブな状況解釈の実例を日々見ることができました。そのたびに「え、それではだめでは?」「なるほど、これはできているという解釈でいいのか」「たしかに、ここはできているな」と少しずつ基準をズラしていくことができ、とにかくプラスなことを見つけたら、まずはそれを喜べた方が良いな、と徐々に思いやすくなっていきました。

自分がもし何か「できていない」と感じたときは、まず自分の中で完璧を求めすぎていないかどうかを立ち止まって考え、できていることがあれば、それをもってまずはよしとする。それが徐々にできるようになり、様々な状況への向き合い方が少しリラックスしてきました。

「目標を達成することにコミットして欲しい」

休みが明け、仕事に戻ってからしばらくして、CPOのhentekoとのミーティング中、「目標を達成しないといけないという気概が必要ではないか」と発破を掛けられるという出来事がありました。

ざっくり要約すると、チームとして目標を達成していくことに対して、それぞれがデッドラインを死守しようと積極的にコミットして動いているように見えないという課題感に起因するもので、それを変えていくには、そもそも経営陣がそういう姿を見せていかないといけないと考えているという話でした。

しかし、その課題感を聞きながら、私は自分自身の中にどこか目標設定に対する抵抗を感じ続けており、結局設定した目標を他人事として見てしまうであろう感触が拭えないままでいました。

何がこの抵抗感を生み出しているのか。掘り下げてみると、先に出てきた完璧主義がここでも悪い方に働いており、目標を設定するにも、「目標が達成可能なものである」という確信を持てないと目標として認められない、さもなくば、一度した約束を裏切る自分が許せない&それに日々向き会い続けるストレスに耐えようとして心が折れてしまう。何か一つでも不確実なことがあると目標として機能しない、と、目標自体に対しての完璧さを求めていました。

でも、それではどれだけ時間があっても状況を変えることができません。「これは自分自身が向いていないと感じていても、組織のリーダーである以上、ゴールドリブンな人間に変わっていかなければならないのだろうか?」「目標設定以外の手段では、ハイパフォーマンスなチームは作れないのだろうか?」などなど、色々と考えを巡らせていました。

ちょうどコーチと話す機会があったので、ここまで考えについて話してみたところ、「目標を設定することに違和感を感じるという感覚は尊重していい」と前置きがありつつ、「多分ここで重要な問いは、この会社は将来どんな組織になっていたいのか、ではないか」という話がでてきました。

自分が会社の代表である以上、自分自身がどうありたいか、自分のフィロソフィーが会社に色濃く反映される。では、自分自身のコアバリューは何か、会社のコアバリューは何か、そこから目標に対するチームのマインドセットが出てくるんじゃないか?やるべきことは「デッドラインを死守するために積極的にコミットしなさい」と言い続けることではなく、根底にあるフィロソフィーを明覚にして、そこに根ざした行動を一貫して取っていくこと。それが組織に求めるマインドセットにもなるはず——。

そんな核心に迫る話から、やっていくべき方向性が得られた感触がありました。いくつか見えてきたことを、どのように一つ一つ紐解いていくかを考えていくことにしました。

「とにかく達成するため」では満たされない

自分が目標設定に抵抗感を感じる理由を考えた時、根本にある理由の一つは、締切の設定に対する抵抗感の時にもあった、結果を自分のパーソナリティと強く結びつけて捉えてしまうことでした。

以前の「締切を設定できない病を克服する」話では、結果を自分自身のパーソナリティと切り離すことで、「チームを前進させるための仕組み」として締切の認知をリフレームすることができていました。目標設定もそれは同じで、達成できなかったとして、それは即自身のパーソナリティが否定されることは意味しません。まず、ここを改めて認識することで、目標を持つことに対する抵抗感が和らぐことが分かりました。目標設定の目的においても、これを明確に言語化しておくことは有効そうです。

今回は、そこからもう一歩進めて、「完璧に達成できなければ意味がない」という認識も改める必要があると考えました。「終わってないことが一つでもあったらゼロ」ではなく「できていることがあれば進捗であり、意味があることである」という認識を持てる必要があります。「できていないと感じ続けること」に向き合い始めるのは辛いですからね。でも目標設定の目的を「とにかく達成するため」と認識してしまっていると、すぐに完璧主義の悪癖が顔を出してきます。

そもそも「目標の達成」は一つのKPIです。KPIだけいくつも持っていても「どうしてこれをやるの」というWhyの質問に答えられることはありません。目標は背景の目的が大事だと言われますが、目標を立てて達成を目指すという行動自体にも目的が必要です。そして、それが究極的には自分自身の内発的動機に沿うことができれば、それをやることを必然的なものとして捉えることができるようになりそうです。

自身のフィロソフィーに根ざす

自分の根底にある考え方、自分自身が仕事やプライベートに関わらず自分が生きていく中で大事にしていることが何かと考えてみたときに、思いつくのは、

  • 人の役に立つことを通じて、社会と良好な繋がりを持ち、安心して頼ってもらえる人になること

  • 一貫した世界観を持ちつつ、考え方を柔軟に変えていけること

といった点でした。これを見ると、生物学的には達成感を司るドーパミンよりも、他者への貢献やそれを通じた賞賛で生まれるセロトニンやオキシトシンに繋がることが少なくとも私自身の内発的動機への働きかけには重要そうです。実際、だれかに頼られるとその期待を超えて頑張ろうという気持ちが出やすいです。

それに加えて、自分自身の考え方を変えていくことや外部環境の変化へ対応していくことには比較的前向きな一方、人前で失敗することや、自己中心的に悪目立ちすることは嫌っている傾向があります。

失敗することに対しての恐怖感の払拭については、昨年からの学びで「失敗は実際には学びの一つの形である」という考え方が適用できます。「達成できなかった」こと自体が学びであり、学びを得ることが目的であって、その失敗から教訓が得られれば、それは大きな成果である。それを明確に定義して、認識を共有できれば、積極的に行動することが容易くなります。

いま持っている感覚で、辿り着きたい場所と締切を「ここまで行けるか試してみましょう」という目標として設定して、そこに向かって積極的に動くことで、最終的な成功も失敗も後に続く学びとなり、貢献になる。それであれば、自分自身は元より、組織としてもサスティナブルに成長し続けられそうな考え方だと感じました。

目標設定は、「約束した結果のため」ではなく「道のりの学びを得るため」にやる

これらを踏まえた、目標設定に対する考え方に対する自分なりの整理はこのようになりました。

目標設定を行うことの目的は、学びを得ることです。

目標というと進捗や達成することを目的に置きがちですが、それはあくまで成果物であり、直接目指せるものではありません。設定時に想定したことが実現できるのかできないのか、できたなら想定が正しかったという学び、できなかったなら差分から次に繋がる学びを得て、同じ失敗を2回やらないために学びを得る。だから達成が難しいことが分かっても諦める必要はなく、やり遂げて振り返り、学びを得ることが重要です。

目標を設定する時、目標はあなた自身の能力を評価するものではなく、プロセスの成果を計測し、関わる人々の成長を目指すために設定するものです。「成長に向けてどこを目指して行きますか」「この目標はどんな問いに答えを出そうとしていますか」「この結果からどんな学びを得ましたか」を問い続けていくことで、環境の変化に対応しながら継続的に成長し続けていくことができます。あなたの本当の価値は、目標を達成したかどうかではなく、目標達成に向かう道のりにあります。

設定した目標に対して行動することに躊躇する必要はありません。目標の達成に近づくために必要であると考えて実施したことは、どのような形でも最終的には学びとしての貢献に繋がります。なにか1つでもプラスになることがあれば、それは進捗です。目標に関わる人々のために、アクションできることはなんでもやってみましょう。

この目的であれば、まずもって自分自身が目標を設定して取り組むことに前向きになれます。

  • 背景のモチベーション、やる理由が人への貢献に繋がっている

  • 失敗は学びを得るための方法、臆病にならなくてよい

  • 何かプラスになっていることがあれば、まずそれをよしとする

そんな目標設定の定義です。

早速試してみます

さて、新しくできた目標設定の目的の定義、これは我々のチームで受け入れられ、ワークするでしょうか。試してみないと分かりませんね。

ということで、これをチームへ展開して実践していくことを、ここから1ヶ月の自分の目標にしたいと思います。

これまでコミットしていくという宣言自体が辛かったんですが、この定義において、まずそこに対する抵抗感は下がっています。成し遂げられるかどうかは分かりませんが、「プラスになることがある」ことが1つ以上あることはわかります。そして、得られる学びがあることもわかります。

自分自身が目標を達成するということに注力できるか、そしてモメンタムを出せるか?ここまでの人生でうまくできた試しがないので、うまくいったら御の字です。そのぐらいの気持ちで、どんな成果が出るか見ていきたいと思います。

それではまた来月!

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