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#もう眠副音③:幡野と出会って四千字(敬称略)

 先日、『幡野広志のことばと写真展』にお伺いした後、ほぼ日の方々との宴席にお邪魔させてもらった。
 その際に、
「この中で、一番幡野さんとの付き合いが長いのは西先生だから、あなたが一番幡野さんのこと知っているでしょう」
 と指摘された。それに対して幡野さんは、
「確かに、病気になってから出会った方の中では一番昔ですね」
 とおっしゃった。まあ、だからといって、過ごした頻度で言えば、ほぼ日の方々のほうが圧倒的に多いわけで、それで「一番知っている」なんておこがましくて言えたもんではないけど。
「その当時に、よく会ってみようと思いましたね」
「こわくなかったですか?だって当時は猟銃を持っていた男ですよ」
 と誰かが言って、みんなが笑った。
 確かに、どうして会ってみようと思ったんだろう?『だから、もう眠らせてほしい』で明日から3週連続、幡野さんへのインタビュー記事が掲載される。その前に、ちょっと記憶を整理するため、彼と初めて出会ってからのことを振り返ってみたい。

「質問をしたい」というメッセージからはじまった

 幡野さんから初めて連絡が来たのは、2018年1月のことだった(いまメッセージをさかのぼって確認した)。幡野さんのブログをキングコングの西野亮廣さんがシェアしたのに、コメントしたか何か?がきっかけだったように思う。
「質問をしたい」
 というのが主旨だった。たぶん、その当時幡野さんが行っていた取材活動の一環だったのだと思う。その質問の中身は、幡野さん的にはナイショらしいので、ここで明かすことはしないが、
「どうか本音で答えてほしい」
 と書かれていた。
 僕がそれに対してどう答えたかも、質問がナイショだから答えもナイショになってしまうわけだが、いま改めて見返してみて
「2年前の僕、いいこと言ってんじゃん」
 と思った。記録に残しておくことは大事だ。

 幡野さんから「一度会って話を伺いたい」と言われたのが、その年の3月初め。僕の病院にお越しいただいて初めて会ったのだが、実はここでどんな話をしたのかを皆目覚えていない。夜勤明けで頭がぼーっとしていたからだろうか。写真が残っているのでお会いしたことは確かなのだが(写真もこの1枚しか残っていない)。

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 安楽死に関する話もその時初めてしたらしい。どんな回答をしたのだろうか。きっと、「緩和ケアがあれば安楽死はいらない」と言ったのではないだろうか。僕がYくんに言ったように。

 ただ、それをきっかけに僕が安楽死について考え始めることになったのは確かだ。幡野さんのブログやツイッターで語られている言葉を読んで、考え、また別の言葉を読んでは考える。例えばこの記事など。

 そして僕が安楽死について発信を始めたのは6月のこと。もうその頃には少しトーンが変わっていて、「安楽死には反対だけど、緩和ケアは万能ではない」という主張になってきている。

 その後、2018年7月に宮下洋一さんを交えた、『だから、もう眠らせてほしい』3章の舞台でもある高願寺での鼎談は、NHKにも取り上げられ放送された。僕自身もブログにそれをまとめたが、この時の僕の結論は

「安楽死を求める声に、安楽死をできるようにすることで応える」という発想は、死についての議論の単なる一側面でしかない

となっている(有料記事ですみません)。

 ちょうど同じ時期に、幡野さんも僕についてブログで記事を書いている。映画『毎日がアルツハイマー』の監督であり、スイスの自死幇助団体ライフサークルの会員でもある関口監督と僕を対比して、生と死、患者と家族と医師の関係性を描き出している。
 そしてこの記事のときは、患者さんの許可を得て、幡野さんに診療に同行してもらい、往診風景も撮ってもらった。幡野さんが希望されたことだった。幡野さん自身は後に、
「とても勉強になった撮影でした」
 と語っていた。

安楽死特区案、そして議論から「いち抜けた」へ

 高願寺に続いての2回目の対談は、2018年の秋。記事が公開されたのは、先ほどリンクを貼ったNHK放送に合わせての年末だった。

 ここでの話題はなかなかにエキセントリックで、幡野さんから「人生はスマホと決めるほうがいい」という話が出たり、僕から安楽死特区の案が出たりという、ちょっとした転機になった対談だった。
 僕はこの対談を終えて、自らのブログに以下のように感想を書いている。

死についてのテーマでも暗くならず、前向きに話し合いをすることもできるというところがこの1年でよくわかりました。
そしてこの1年様々な意見、それは概ね「安楽死に賛成」という意見でしたが、それを聞いてもなお、私は安楽死について慎重な立場は崩せません。
(中略)
ただ、それでも安楽死が必要、という方も確実にいます。その方たちの生を肯定するためにどうすればいいのか?という問いに、例えば北海道の未開部などに特区を整備して、そこで安楽死を認める、という案を出したのです。
(中略)
私は、安楽死を求める声に対して頭ごなしに否定するのも、流されるように肯定するのも違うと思います。「安楽死を求める声に対して、安楽死をできるようにすることがその答えなのか?」という問いに、真摯に向き合っていくこと。その回答のひとつが「特区案」なのかもしれませんが、様々な場所で、今後もこのテーマは議論していきたいところです。

 そして、この対談までの考えをまとめて書いたのが『がんを抱えて、自分らしく生きたい』の安楽死の章。これは、何時間かけても終わらない幡野さんとの議論に対する僕からの手紙でもあった。

 ただ、ここまできても僕の考えはすっきりはしていなかった。
 賛成を主張する幡野さん、そして慎重論を崩さない僕。お互いがお互いを理解できるところもある。それでも最終的には二項対立構造から抜け出せなかったし、それをいくら発信しても「極端な賛成派」と「極端な反対派」の対立と分断を煽る一方で、建設的な議論に進みようがなかった。正直言って、発信すればするだけ時間の無駄だった。

 そこで、3回目の対談。『がんを抱えて、自分らしく生きたい』の出版記念イベントで幡野さんにお会いした僕は、
「安楽死制度に賛成・反対、という議論はもうやめたほうがいいと思っているんですよね」
 というところから話を始めた。幡野さんもそこは「僕もそう思います」と同意だった。そう、僕はこの宣言をもって、安楽死の是非という議論からは「いち抜けた」したのだ。

日本はもう、安楽死制度について賛成・反対というところで議論を止めておくべき時ではない。日本には日本の安楽死制度があってよい。それは、私が本に記した「安楽死特区」構想かもしれないし、別の形もあるかもしれない。安楽死制度はあるべきか否か、という議論では、お互いの意見が妥協し合うことは永遠にないと思う。だとしたら、その議論から生まれるものも(現状把握以外には)ほとんどない。
これからは、どういう形であれば日本人にとって最適となるのかという制度設計の話をしていくべきではないか。安楽死制度に反対なのであれば、どのような条件や規制をつければ、安易に安楽死に人が流れないのか、という点を設計に入れ込むように声をあげる方が建設的だろう。もし、制度そのものに反対なのだとしたら、安楽死を求める方々が納得する代替案を示すべきである(ただ、そのほとんどが「それはあなたの価値観・死生観でしょう」の一言で論破されるように思うが)。

A足すBは、Cになる

 こうして振り返ってみると、幡野さんが主張されていることは2年前から全然変わっていない、ということがわかる。変わったとしたら、表現が変わった。言葉のもつ力が、優しく、そして強くなった。それはいい意味でも、悪い意味でも、という部分はあるかもしれない。
 ただ、それに対して変わらないとならなかったのは緩和ケアを含む、社会のほうだ。同じ主張を続けないとならないということは、社会全体が変われていないのだ。もちろん、「幡野さんの思い通りに」変わればいいという意味ではない。病を抱える人が孤立せず、自由に生きられる世界、という方向に変わるべきではないかということ(本質的には、という部分にここではあえて踏み込まない。それはまた稿を分けたい)。
 僕自身は、といえばこの2年間でいろいろと悩んできたり発信してきたりしたけど、1週回ってスタート地点に戻ってきたように感じている。それはもちろん、無駄な「1周」ではなかったわけだけども。

 彼はあるとき
「一緒に世界を良くしていきましょう」
 と僕に言った。立場も、意見も、全然異なる僕にだ。
 幡野さんは僕を評して、
「僕とは全然意見が違って、僕がAとすると、西先生はBという意見。でも、それを言い合っているうちにCという答えが生まれる」
と話されていた。僕はけっこう追い込まれてようやく新しい言葉が出てくるタイプなので、幡野さんのような「感情的にならず、議論から生まれる未来を見たい」という姿勢に助けられている。最初にもらったメッセージは、少し挑戦的なニュアンスを感じたのに、それでも会ってみようと思えたのは、こういう未来が彼の言葉の中に少し見えたからかもしれない。
 論破をしても世界は変わらない。
 きっとこれからも僕らは、お互いの意見が収束することはなく「何らかのC」を生み出し続けるんだろうと思う。

 明日から始まる「5:安楽死に対峙する、緩和ケアへの信頼と不信~幡野広志と会う」は、対談というよりはインタビューなので、僕よりも幡野さんが話している部分が圧倒的に多い。それでも今回も「新たなC」が出てきて、僕が驚かされる部分がたくさんあった。
 吉田ユカ、そしてYくんの主治医として、幡野さんに聞いておきたかったこと、そしてそれに対して幡野さんが答えたこと。明日から3週連続となるこの連載を、多くの方に見てほしいと思う。

(2020/4/19追記)
 こちらに、本編の幡野さんインタビュー記事をまとめておきます。

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