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#もう眠副音⑪:いのちは「意味がなくても/意味がある」のか?

『だから、もう眠らせてほしい』、前回はいかがだったろうか?

 この章でキモとなるのは、僕が吉田ユカに「だから、お願いします。僕らと……対話をする時間をくれませんか」と言った場面。
 それまで「今すぐにでも眠らせてほしい」と言っていたユカが、もう少し僕ら医療者と時間を過ごしてもいいかな、と考えてくれた場面。
 それは、鎮静で眠ってしまって過ごす時間ではなく、会話をしたり治療の効果を確認できる時間が延びた、ということになる。

 僕ら医療者にとって、この「時間が少し延びた」というのは重要な意味をもっている。仮に、病が完治することがなく、いずれ何らかの死――それは肉体だけではなく社会的な死・精神的な死も含めて――を迎えるにしても、それまでの時間を少しでも延ばせることは医療の至上命題であるからだ。ただ、それは患者本人にとって「意味があること」とは限らない。医療者によって延命をされて、振り返った時に「私の生きた時間は何のためにあったのか」となる場合もゼロではない。

 僕ら医療者にとっては、患者のいのちは「意味がなくても、意味がある」ものではないかなと最近よく思う。つまり、その患者が生きる意味を僕らが見出せなかったとしても、僕らにとっては患者が生きる意味がある。いのちそのものに価値がある。J-POP風に言えば「君が生きているだけで、意味がある」というやつだ。
 一方で患者は、「意味がなくては、意味がない」と考えるのが大半だろう。患者本人が自らの人生に意味がない、と感じるなら、その時間はその人にとって真に意味がない。
 いのちに「意味がなくても、意味がある」と考える医療者と、「意味がなくては、意味がない」と考える患者。ここにズレが生じるのは当たり前の話だ。
 医療者は「とにかく生きていなければ、その人生が『意味がある』と本人に思ってもらえるチャンスすら無くなる」と考える。でもそのチャンスを与えてくれるのは、患者本人なんだよね。僕らが勝ち取るものではない。少年漫画のように「いま生きた先には、未来があるんだよ!」っていう世界観が、さも常識かのようにふるまわない方がいい。

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 ただ、「いのちって、『意味がないなら、意味はない』よね」と医療者が安易に言ってしまうことにも僕は反対だ。その時の「意味がないなら」と言うときの主語は、本当に「患者」かどうか怪しいから。もっと言えば、「いのちの選別」につながるから。
 医療者が「こういう生き方は(一般的に)意味がない」と考えるなら、その方向に患者や家族を誘導することは難しいことではない。「その治療を行っても90%無駄です」と言われるのと「この治療を行えば10%ですが効く可能性があるんです!」と説得されるのでは、その後の行動は大きく変わるだろう。抗がん剤や胃瘻、人工呼吸器をどうするか、といった岐路で、医療者が医学的判断のほかに「個人の人生観」を持ち出してしまうと、ろくなことにならない。

 僕は医療者のあり方としては基本、いのちには「意味はなくても、意味がある」というスタンスでいたほうがいいのだと思う。もちろんそれが「暴力性をもっている」という自覚のもとで。
 昔のように、いのちの現場において医者が絶対的権力をもっている時代なら「意味はなくても、意味がある」というのは本当に暴力的であったと思う。医者が、患者の意向によらず、全ての治療法を「いのちを延ばす」という絶対的正義のもとに決めていた時代。その時代に戻ろうという話ではない。

 いまは医者と患者の関係も変わってきた。僕らは患者から「意味はなくても」という部分を聞かせてもらう。そして、それに対して僕らは科学者として客観的な提案をする。その結果として僕らが「それであればこの治療はやめておこう」となる場合もあるし、逆に患者側が「じゃあもう少しだけ生きてみようかな」となることもある。今回の吉田ユカのように。
 僕ら専門家はあくまでも専門家。患者にとって「意味があるのか/ないのか」を勝手に推測して、治療提案そのものに手ごころを加えることは慎むべきだ。
「科学的にはこういった事実があるから、僕はあなたにこの提案をする。でも僕は、あなたにとってこの提案が意味があるのか、意味がないのか、わからない。いま意味がないと思っても、未来に意味があるかもしれない。それを踏まえたうえで、『あなたが幸せになるために』これから何をするのがいいのか、一緒に考えてみようよ」
っていうことなんだと思う。

 さて、明日4/16公開の10章は、本編の最終回。
 4/16に前編、4/17に後編を2日連続で公開する。無料で読めるのはいつもよりも少し長く、日曜の正午までにしたい。全部で1万字を超える長文なので、時間があるときに。
 9章で僕が「対話をする時間をくれませんか」とお願いして、吉田ユカからもらった時間。この時間はユカにとって「意味があるもの」だったのかどうか、その答えが10章で明らかになる。

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