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人生会議をすれば患者の尊厳は守られるのか~安楽死制度を議論するための手引き11

論点:人生会議をすれば患者の尊厳は守られるのか

 気がついたらこの連載も3か月ほど間が空いてしまいました。
 テーマはいろいろと考えていたのですが、今年度は並行して3冊の出版に取り組んでおり、こちらに割ける時間がほとんどなかったのです・・・と言い訳。

 前回は「終末期の鎮静」に関するガイドラインが改訂されたため、その解説をしていたのでした。

 今回からは話題を変えて、いわゆる「人生会議(ACP=Advance Care Planning)」をテーマに、「認知症をもつ方の意志決定はどうするのが良いのか?」を考えていきましょう。

人生会議って何だっけ

 最近また、「高齢者の延命治療は保険外診療にすべきだ」とか「認知症で食べられなくなった高齢者に胃瘻を作るのは無駄だ」みたいな議論が喧しいですね。落合陽一さん・古市憲寿さんの発言しかり、成田悠輔さんの発言しかり、こういった考え方は定期的に世間に投げられては、その都度でこりもしない表層の炎上が繰り返されます。

 そして、そういった極論に対してカウンターで繰り出される反論の中に「終末期や認知症になる前に、自身の意思をきちんと周囲の方に伝える『人生会議』をするべきだ」といった意見が必ず出ます。

 でも僕は、それは机上の空論と感じてしまうんですね。

 いや、「人生会議をすれば、終末期や認知症になったときに本人の意思が治療方針に反映され、本人の尊厳も守られるうえに家族も助かる」っていうのは(多くの場合においては)真実だとは思っていますよ。医療の現場においても、例えば意識不明の重体で患者さんが救急搬送されてきたときに家族から、
「父は普段から、自分の人生について○○ってよく発言していました。かかりつけの先生と話し合ったことを記した資料もあります。だから今の状況ならきっと父は××してほしい、って言うと思います」
なんて話があれば、僕らとしては大いに助かります。

 では、なぜ今はそうなっていないのでしょうか?

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