見出し画像

#もう眠副音⑤:これから幡野さんと話したいこと

 3週連続で公開してきた、幡野さんのインタビューが明日(3/5)で「一区切り」になる。

 中編はもう途中から有料になってしまったのだけど、前編は最後まで無料で読めるので、読めるところはぜひ読んでほしいなと思う。
 これまでの前編・中編もかなり濃い言葉たちにあふれていたけど、明日公開される「後編」は、
・「耐え難い苦痛」とは何か
・幡野さんの「フルマラソンを30kmくらい走ったところで・・・」の体験
・安楽死は減らせるのか/母親との縁
・誰のための医療

という感じのラインナップで、正直一番面白い内容になっていると思う。
 僕は特に「母親との縁」について幡野さんが一言だけなんだけど述べた部分が、何度読んでもすごく胸が痛むのね。本文にも書いたけど、僕はそれを肯定も否定もしない。ただ、幡野さんがそんなことを言ったのを聞いたことがなかったから単純に驚いたというのと、それでいて今ある現状はこう・・・、ということを思うとき僕は勝手に「胸が痛む」のね。なんでだろうね。皆さんはどう感じるのかな、と思う。

これから幡野さんと語るとしたら

 もう、このインタビューは結構前に収録したものなので、今なら何を幡野さんと話すかな、というのはあるんだけど、今思いつくものとしては
「AI時代における医療者の役割」
「医療は何と競合する時代になっていくか」
「安楽死を含む『生き方と死に方』を、タブーを越えてどう表現していくか」

みたいなことを話したい。
 スマホとかのAIが生まれたときからのデータをずっと蓄積していって、病気になった時はそのAIにサポートしてもらって治療方針を決めていく、という未来がいずれ来るということを幡野さんはよく語っている。それは、家族よりも誰よりも、AIが一番の「理解者」になりうるから。
 僕のその意見に対する感想は、以前にnoteで書いたことがあるんだけど、引用するとこんな感じ。

 そういう時代に、僕ら医療者は何をできるかを考えた時、それは「不完全な個人が集合した開かれたネットワーク」への接続なんじゃないかと思うのである。
 スマホがいくら賢くなって、個人が生まれた時からの全データを保有し、それを元にした「最適な治療」を導き出せるようになったとしても、僕はそれは「単一の、答えのひとつ」でしかないと思っている。
 僕ら人間は不完全だ。目の前にいる患者のこともほんの一部分しか知らない。でも、僕らはその不完全な空白を確かめ合って、お互いの人生を計りあっているんじゃないかと思うのである。僕はあなたのことを一部しか知らない、でも僕はこれまで会ってきたたくさんの人の「一部」を知っている。看護師は、また「看護」という視点で切り取った、たくさんの人の「一部」を知っている。それは多様な、世界への開かれたネットワークであり、そこに接続できる患者は、AIが導く単一の答えではなく、たくさんの選択肢の中から自分の人生を選ぶことができる。
 そのためには僕らの側も、カリスマ的医師が頂点に立つような「閉じたネットワーク」はもう古くて、できる限り多様性を内包した開かれたネットワークに接続し続ける必要がある。そのネットワークをどれだけ豊かにできるかが、これからの医療のカギだと僕は思っている。

 ちょっと難しい感じで書いているけど、要は
「曖昧な多様性に囲まれながら生きていくっていう生き方もあるんじゃない?」
 という、ひとつの提案なんだよね。患者さんが見ている世界(それが仮にAIによって補完されているにしても)は狭いし、一方で僕ら医療者が見ている世界も狭い。その狭い世界を、言葉によってつなぎ合わせることができたら、それは限りなく広い世界を手に入れられることになるんじゃないかな・・・と夢想している。そしてそれは医療者側が開かれたネットワークに接続され、そのネットワークがいかに豊かであるかによって質が左右されると思う。

 だとしたら、僕ら医療者が今後競合していくのは何かってことも考えないとならない。医療者って、これまで「競争がない」社会で生きることが当然、と思ってきているから、全然ブラッシュアップされないのね。ブラッシュアップされないプロフェッショナルは弱い。質が上がっていかなくても困らないから、昭和のままで価値観が止まっている部分があるかもしれない。もちろん、医療そのものは「標準化」されるべきだよ。日本のどこにいても世界レベルの標準的医療が受けられるというのが理想で、○○医師の考えた××療法とどちらがいいのか?みたいな「競争」ではない。日常的な医療が医療同士で競争してもあまり意味はない(研究は別)。
 そうではなくって、例えば「コミュニケーション」という部分に注目するなら、その競合は「ホテル」かもしれないし「落語」かもしれない。AIが補完する個人に強い意思決定権が委ねられていくのだから、僕ら医療者が提供できる価値(サービス)って何かということを考える必要がある。

画像1

 この時に大事なのは、「患者の言うなりに提供するサービスは、プロとしてのサービスとは言えない」ということ。
 これはレストランの例で考えればわかりやすいかもしれないけど、レストランで客の指示通りのレシピで料理を作るなら、それはプロのシェフでなくてもよいわけだ。「俺はマヨネーズが好きだから、メインディッシュには大量のマヨネーズを載せて出せ」とかね。その要望・好みを聞いたうえで、プロとしての意見をすり合わせ、客の思いもよらなかった方向で感動を提供できるのがプロの仕事でしょう、と思う(ちなみに、そんなコミュニケーションをとってくれる料理人には、これまで数人しか出会ったことがない)。

 時に医療も、「患者が希望している」という理由で、思うがままの医療を提供することを主張する医師がいるが、それはあくまでも方針を決めるひとつの要素に過ぎず、その他の様々な要素を統合して、最終的にベストな方向を決められるからこそ、医師はプロであるといえるのだと思う。
 僕はよく言っているけど「安楽死を望む患者に対し、安楽死をさせてあげることで応える」というのは正しい在り方なのか?ということをよくよく考える必要があると思っている。最終的にそれしかなかった、という結論になることもあるし、そうでない場合もあるはず。大切なのは、誰とどのような対話をして、どんな思考を巡らせて、それを決めたのかということ。「患者が望んでいるから」というところで思考を止めるのが一番よくない。

生と死を「表現」するには

 以前に幡野さんと
「安楽死というテーマを語っても、それはタブーにならないとわかった。表現や言い方の問題」
 という意見を交わしたことがある。緩和ケアもそうで、表現の仕方によって、もっと広く届けることが可能なのに、そこに「死」というイメージを強くまとわせて届けようとするから、どうしても敬遠される羽目になる。
 前回の記事で、幡野さんの写真展がまさに生と死を写真と言葉で表現していて、それは僕がずっとやりたいと思っていたこと、ということを書いたんだけど、もっと別の角度からも「生と死/緩和ケア」を表現してくことができないかについて、幡野さんと語ってみたいなと思う。
 できれば、トークショーみたいな固い感じではなくて、酒とか飲みながら、どんちゃん騒ぎの中でやりたいなと思うのね。会場のみんなもご飯食べててさ。樽酒とか割ってさ。何なら「俺の歌を聞け!」とかって、誰かがギターもってきて歌いだしてもいいかもしれない。それが「表現」だっていうならね。ただし、場をしらけさすようなジャイアンリサイタルならつまみ出されるかもだけどw。

画像2

10万PV突破!

 今回僕が公開している幡野さんのインタビューは「だから、もう眠らせてほしい」という連載の一部だ。
 20万PVを達成することができたら書籍化、という話なわけだが本編15本中、これまで8本公開して10万PVを突破した。この副音声とか関連記事を合わせてだが、このままのペースで閲覧数がのびれば、20万PVも達成可能かというところにきている。マガジンの登録者数も、もうすぐ1000人を超える勢いだ。
 そして、もし書籍化した場合には、今回の3週連続インタビューでは語られなかった幡野さんとの語りの部分も収載される予定だ。たくさんの方に読んでいただけるほど、書籍化の道が近づく。
 また、インタビュー記事は土曜の夜まで無料公開、その後は有料になってしまうので、できれば木曜~土曜の間に、多くの方に情報拡散して頂けるとありがたい。
 ご協力のほどよろしくお願いいたします。

※この先の有料部分については、インタビュー中編で幡野さんが語った「患者の意志に反した治療を求めた家族や医療者に対する罰則」の是非について。

安楽死制度を作って患者自らが選んで死ぬことができるようにする…… もしくは患者の意志に反した治療を求めた家族や、それに賛同した医師や病院を罰するようにしないとダメだと思います。法律的に。
 飲酒運転のように、店に運転して来ていることがわかっているのに、お酒を提供するとか、その車に同乗するとかで罰せられるようになったじゃないですか。あれで飲酒運転がかなり減ったように、法律を変えれば、医療者や家族も変わると思う。

 この「罰則」についての意見を別のところで幡野さんが述べたときに、少なくない批判が起きたのね。それに対して僕がどう考えるのかということを書いておこうと思う。

ここから先は

1,169字 / 1画像

¥ 150

期間限定 PayPay支払いすると抽選でお得に!

スキやフォローをしてくれた方には、僕の好きなおスシで返します。 漢字のネタが出たらアタリです。きっといいことあります。 また、いただいたサポートは全て暮らしの保健室や社会的処方研究所の運営資金となります。 よろしくお願いします。