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#もう眠副音④:ぼくがやりたかったもの~言葉と写真との表現

「あっ、やられた」
 ある日、Twitterを眺めていたとき、僕の指は止まり、小さく声をあげた。それは幡野さんの「幡野広志のことばと写真展」の企画案内を見つけた時だった。
 どうして僕は声をあげたのか。
 それは、僕が頭の中でモヤモヤと、「ずっとやりたい」と考えていたことを目の前に見せられたからだった。

 僕は緩和ケアの専門医だ。
「緩和ケア」という概念を国民に広く理解してもらい、医療機関側のリソースの整備と、その有効な利用について国レベルで取り組んでいく必要がある、ということは何年も前から国のミッションとしても、僕らの実感としても大事なことであるという認識はあった。
 そのために、緩和ケアの分野はそれこそ国を挙げて、この啓発に取り組んできた。
 しかし、その啓発の成果がどれほどあったのか?というのははっきりしない。
 少なくとも10年前と比べれば、緩和ケアについて知っている人は多くなった(ような気がする)。でも、それは情報リテラシーが高い人とか、元々関心があった方など一部の層がふくらんだだけで、いまだに「緩和ケアは終末期の医療」と思っている方も多いし、緩和ケアなんて概念を知らないという人が大多数ではないだろうか。
 これまで何年もかけて、国の予算も使い、芸能人を起用し、啓発に努めてきた結果として、どことなく行き詰まりを感じているというのが僕の実感だった。
 だとしたら、別のアプローチで「緩和ケア」という概念を伝えられないか?ということを考えていたときに、そのひとつの候補として考えていたのがアートフェス、という方向だったのだ。

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「死までを生きる展」という夢

 緩和ケアという概念を、そのまま直接、言葉や映像で伝えていくには限界がある。
 だとしたら、そもそも「緩和ケア」という言葉も使わずに、その概念の一部を引っ張り出して、アートと融合して、そこでの表現のやり取りから、結果的に「緩和ケア」を浮かび上がらせられないか、と考えていた。
 そこで考えたのが「死までを生きる展」。ネーミングは一考の余地ありだが、緩和ケアの辿る根本ってここのことだと思うのだ。「死」ということにフォーカスを当てると、暗く、重くなる。一方で「生きる」ということにフォーカスすると、キラキラした生命の躍動、という表現が強くなる。それはどちらも緩和ケアのフィールドとは言えない。だから「死までを生きる」。いつが「死」かということはわからないけれども、それまでの時間を生きる。その限られた時間で表現をし、限られた時間を表現する。そんなアート作品たちを集めて、展示できたらなと思っていたのだ。絵画、彫刻、インスタレーション、演劇、リレーショナルアートなど様々な分野の「死までを生きる」を集めてみたかった。もちろん写真も。
 そして、そのアートを彩るのが言葉だ。緩和ケアにおいて「言葉」はとても重要な要素だ。ときには一粒の薬よりも、ひとつの言葉のほうが、患者さんや家族の痛みを癒すこともある。だから、アートと言葉を融合させて、対話の場を設け、「死までを生きる」を参加者一人一人も表現して持ち帰られる、といった企画にしたかった。
 そんなことを考えて、金沢21世紀美術館の学芸員さんにまで相談に行っていた矢先に、この「幡野広志のことばと写真展」が出て「やられた」と思ったのである。これこそまさに、僕が「死までを生きる展」で構想していたものだったから。

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「幡野広志のことばと写真展」に行ってみた

 コンセプトだけ見て「やられた」と打ちひしがれてたが、「せっかくだから見に行かねば」と思い直した。僕の考えている「死までを生きる展」につながる部分があるかもしれない、と思いつつ。

 土曜日の渋谷は混んでいた。
 渋谷PARCO8階の会場も超満員で、ゆっくりと作品を鑑賞できるスペースもないほど。逆に言えば、それだけの関心の高さがわかる賑わいだった。
 作品たちをみて、僕が一番唸ったのは、
 「写真と言葉が裏表になっていること」
 写真の面から見たら、写真側だけが見え、言葉の面から見れば言葉だけが見える。そして写真と言葉はまったく一対一ではない。ほぼ日の永田さんが考えたという「立ちどまらせる写真と、背中を押す言葉たち」という表現がまさにぴったりだ。
 そして、その言葉たちの中には明らかに「死までを生きる」という表現の言葉たちが出てくるのだけど、やはりこういった場でそれが展示されていると、何の抵抗もなく、その言葉たちが入ってくる形になっているのではないかと感じた。ちょっと残念だったのは、人が混み過ぎているせいで、その言葉の前で立ち止まって、じーっと心に染み入らせる、みたいな余裕が取れないことだった。それはもちろん企画者側が意図したことではないから仕方ないのだろうけど。理想的なことをいえば、龍安寺の石庭の前で30分くらいじーっと座って庭を眺めている人がいるような風景を、この言葉や写真たちと来客との関係の中に作れないだろうか、という思いは抱いた。

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緩和ケアという言葉を使わなくても緩和ケアは表現できる

 僕が今回幡野さんの写真展で感じた一番のことは「緩和ケアという言葉を使わなくても緩和ケアの表現は可能だ」ということ。
 僕は何か大きなハコでそれを行うことばかり考えていたけど、ハコは小さくても表現次第でインパクトを大きくする可能性もあるんだなと感じられたこと。幡野さん自身も「僕一人ではできなかった」とおっしゃっていたことだが、今回の企画に関わったスタッフの方々の表現力に脱帽した。
 だとしたら、僕もこれまでどおり、何らかの形で「小さく」積み重ねていくというのでもいいのかもしれない。それで多くの人に届けられないのだとしたら、それはまだ僕の表現が未熟だということなのだろう。進歩する未来が見えるのだからいいことじゃないか。もちろん、「緩和ケアを日本に広める」というミッションのためには悠長にはしてられないのだけど。焦って進歩しないといけないのだろうけど。
 僕一人で進歩するわけでもないし。10年前とかは、僕はずっと孤独を抱えていたような気がする。若かったこともあるだろう。自分だけが社会課題に向き合っているような孤独な中二病みたいな感覚だった。でもいまは実感として、多くの仲間たちがいると知っている。
 僕は最近、本のサインを書くときに添える言葉に「みんなで。」と書いている。僕一人が頑張るわけじゃない、みんなで。そう思っている。

※「だから、もう眠らせてほしい」幡野さんへのインタビュー、明日2/27に公開する中編は「幡野さんと吉田ユカ」そして「15年前の緩和ケアに幡野さんがのけ反る話」などが収載されています。ぜひご覧ください。


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