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間接的安楽死と終末期の鎮静~安楽死制度を議論するための手引き10-1

論点:鎮静は安楽死制度の代替となり得るか

 日本緩和医療学会が発行している『がん患者の治療抵抗性の苦痛と鎮静に関する基本的な考え方の手引き』が2023年に改訂されました。
 そもそもこの手引きは、終末期における鎮静(苦痛緩和を目的として鎮静薬を用いて患者の意識レベルを下げること)に対し、2004年に「ガイドライン」として発行されていましたが、他のガイドラインと異なり論文などの体系的な収集・分析が困難であるという事情から、「手引き」という名前で発行・改訂が続けられてきました。

 そして、今回この2023年度版の中で何度も取り上げられる気になる言葉があります。
 それは「間接的安楽死」
 そもそもは東海大学病院事件の際に、意図的に死期を早める「積極的安楽死」、また生命維持のための治療を中止または開始しないことで自然な死の経過に任せる「消極的安楽死」と並んで取り上げられた概念だそう。
 その内容としては「苦痛を取り除くための治療を行う医療行為の副作用により生命の短縮を伴うもの」とされています。つまり、鎮静も「生命の短縮を伴うもの」と意図されているのであれば、法的にはこの間接的安楽死の定義に該当するとされます。

 実は、前版の2018年の「手引き」にも間接的安楽死の言葉は出てくるのですが、それは付録資料のうちのほんの数行の記述に過ぎませんでした。今回の「手引き」ではその部分に大きく紙幅を割き、検討されているところが異なると言えるでしょう。

 今回は、この改訂された『手引き』の内容を中心に、「間接的安楽死」の概念や、それをもって安楽死を求める声に応えられるか、という点や、この『手引き』自体の問題点などについて話していきましょう。
 長くなりますので、この稿では『手引き』の内容を紹介することを中心とし、僕の具体的な意見については次回でお伝えしたいと思います。

鎮静は寿命を縮めるのか?

 では、本当に鎮静が患者さんの寿命を縮めているのか?については、学会内でも様々な議論や研究があります。
 結論から言えば、「余命が数日~1週間くらいの時期における鎮静は、生命を短縮することは(おそらく)無い」というのが、今回の「手引き」でも僕たち臨床医の感覚としても妥当です。
 ちなみに、この稿で取り上げている「鎮静」とは「持続的な深い鎮静」、つまり「目が覚めないレベルまで眠ってもらう」ことを意図した方法のことで、前にお話した「調節型鎮静(苦痛の程度に応じて鎮静薬を用い、苦痛を感じないように意識レベルをコントロールしていく方法)」とは別のものです。そのように、持続的に鎮静薬を投与して、またその際に点滴などの治療を中止したとしても、寿命に与える影響はほとんど無いだろう、というのが僕らのコンセンサスになっています。

 このように鎮静によって、寿命が縮むことは絶対に無い、と言い切れるのなら、それは正当な医療行為とみなされ、法的には何の問題もありません。
 ただ一方で、「本当に絶対と言い切れるのか」と問われると、「全ての事例でそうとは言い切れない場合も存在する」というところが(実行した医師はそれを意図していなかったとしても客観的に見れば)実際であり、そういった事例も含めて法的には問題があるのか?ということが検討されてきました。

 そしてまた結論を言うと「きちんとした手順・手続きに基づいて行われる限り、仮に生命が縮むことを伴う『間接的安楽死』だったとしても、終末期における鎮静は違法性に問われない」とされています。

 では、その「手順・手続き」とは何かというと、以下の5つの要件を満たす状況であること、が前提とされます。

①耐え難い肉体的苦痛が存在していること
②死期が切迫していること
③苦痛を除去・緩和するために方法を尽くし他に代替手段がないこと
④苦痛の除去・緩和のための治療行為として行われること
⑤患者の意思表示

『がん患者の治療抵抗性の苦痛と鎮静に関する基本的な考え方の手引き』2023年版

 ではこの要件のうち、議論となりそうなポイントを3点取り上げていきましょう。

肉体的苦痛が対象で精神的苦痛は対象ではない

 まず①「耐え難い肉体的苦痛が存在していること」について、「肉体的」とあえて限定している点に注目です。海外の安楽死制度においては、肉体的・精神的な苦痛をあえて分けず、また実際に「耐え難い精神的苦痛」を理由として(積極的)安楽死が行われた例も存在しますが、日本においてはそれを認めない立場を、法学的には採っています。
 そもそも法学的立場からは「心身二元論」を前提としており、肉体と精神が別個のものとして扱われているようです。これは僕たち臨床医の感覚からは離れているものですし、緩和ケアの原則とも異なります。しかし、そういった意見もあったことを受けての東海大学病院事件の判決では、

苦痛については客観的な判定、評価は難しいといわれるが、精神的苦痛はなお一層、その有無、程度の評価が一方的な主観的訴えに頼らざるを得ず、客観的な症状として現れる肉体的苦痛に比して、生命の短縮の可否を考える前提とするのは、自殺の容認へとつながり、生命軽視の危険な坂道へと発展しかねないので、現段階では安楽死の対象からは除かれるべきである

横浜地裁平成7年3月28日判決・判例時報1530号28頁

と結論し、精神的苦痛による安楽死は許容されない、という立場をとっているのです。
 ただし、これはあくまで平成7年(1995年)と30年近く前の判決を元にしているだけであり、現在の「痛みの定義」からもかけ離れているうえに、緩和ケアで標準的とされる「全人的苦痛」の考え方とも異なるため、議論の余地があるところと感じます。

終末期と「死期が切迫している」の違い

 次に②「死期が切迫していること」について、あえて「切迫」という文言を用いていることの意味です。これは、文言として「終末期の状態」と書かれたときに受けるイメージと比べ、「より短い時間である」ことを示唆する意図があります。
 では具体的に、この要件で設定された時間とはどの程度を指すのか、という部分ですが、実はこの点を明確に示すことができる法的根拠は存在しません。ただ、医療者の一般的に考えて鎮静を実施した際に生命が短縮するのが「ほとんど無い、あったとしてもわずか」と捉えているので、その前提に立つと「数日~10日前後」と考えるのが妥当かなと思います。2~3週くらいでも許容されるのでは、とも言われていますがそこは個別の要因もあり、法的に問題ないかは保証されていません。しかし一方で、1か月・2か月という「月の単位」の予後が想定されている場合の鎮静の実施は、明確に「寿命を大幅に短くする」ことが前提となっているので、許容されないでしょう。

患者の意思=家族の意思ではない

 そして⑤「患者の意思表示」について。今回の「手引き」では2018年度版で「鎮静を行うに際し、家族の同意を得ること」とされていた記述が「家族の同意を得ることが望ましい」と変更され、患者本人の意思を最優先するべきことが明文化されました。
 しかし一方で、間接的安楽死としての鎮静を実行するのであれば、患者本人への説明と同意が原則として必須である、ということも示されました。これはつまり、鎮静が必要そうな病態をたどることが予測される患者を中心に、まだ意識が清明できちんと判断ができる時期に、鎮静について情報提供を行っておかなければならない、という意味です。
 これまでの臨床では、鎮静について事前に情報提供を行うことはほとんど無く、実際にかなり苦しい状態になってから
「これまであらゆる手を尽くしてきましたが、あなたの苦痛を緩和する有効な手立てがありません。そこで、麻酔薬のようなものを使って、あなたの意識レベルを下げ、苦痛を感じずに眠って過ごせるようにするという方法があるのですがどう考えますか」
などと説明し、同意を得ていたのです。もちろんその頃にはほとんど受け答えができなくなっている患者も多々いますので、その場合は家族に同じ説明をし、同意を得ることをしていました。
 もちろん、今回の『手引き』でも、本人の意識が無い場合は、家族などの代理人が「本人が判断できるなら下すであろう結論」を推定して方針を決めていくことは許容される、とはしていますが基本的には患者本人と事前に話し合っておくように、ということが強調されています。
 このことが生む、新たな問題点については次回にお話していきます。

生命という最高法益

 (刑)法学の立場を理解しようとするとき、その大前提として「生命は絶対不可侵であり、あらゆる権利よりも優先して保護される最高法益である」ということを押さえておくと分かりやすいです。
 これは、例えば「人の命を奪う」犯罪を犯したときは殺人罪に問われますが、それがもし「本人の同意や承諾があった」ことが明らかであれば同意殺人罪となり、法定刑がかなり減刑されます。しかし、逆の見方をすれば、本人がその死について同意・承諾していたとしても、刑法上の罪として裁かれることは免れないことを意味しており、つまりは自分の生命を処分する権利(死の権利)は日本の法律上認められていないということなのです。
 自己決定権は、日本国憲法に明示されていないものの13条に規定される「個人の尊重」「幸福追求に関する国民の権利」という包括的基本権に含まれるとされていますが、その自己決定権をもってしても、「生命の絶対不可侵性」を超えることはできない、ということです。

 さて、では次回はこれらの前提を元にして、論点である「鎮静は安楽死制度の代替となり得るか」についてお話していきましょう。

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