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映画Wishをみて〜私の願いは〜

日記です。もしかしたら、映画のネタバレするかもしれません。いや、します。でも、みんな知ってることかも。しかも、書けば書くほど、映画のことから遠のいて、結局自分の話ばかりです。

子どもたちが冬休みの間、1日くらいは平日休みを取ってどこかに行こう、と誘ったところ、
それなら映画に行きたい、
と決まった。
農業が盛んなわが町では映画鑑賞はできないが、お隣の市の住宅街には全国展開している映画館がある。
特にこれこそは見たい!と思う映画はなかったが、子どもたち3人の希望が重なったのがディズニー映画だった。NHKの特番やCMでその題名は知っていたが、ほとんど予備知識もないままに映画館に入った。

願いが叶う国なんて場所で、問題など起こらなさそうだが、一見幸せそうな国民のおかしな雰囲気や、「願いが叶う」ことによる幸福はいったいどこから生まれるのか、といった問題など、隣でポップコーンを食べる三男の様子に注意を払いながら、わりと真剣に考える時間が持てた。

いつか書かなければ、と思っていたのだが、私はとても星占いが好きだ。実は私の大好きな異性である先生も、星占いが好きだ。ジェンダーの観点から言えばいけないことだが、周りにそんな男性がいなかったので、その事実を知った時は意外だったし、おもしろかった(興味深い、という点で)。
しかも同じ占い師さん(古風な言い方だ。占星術の観点から、現状や未来を解説して書く人、という感じの人たち)が好きなことがわかり、驚いた。多分、先生自身も物書きなので、その方の書く言葉や文章が好きなのだと思う。

現代における神様や信仰は、ともすると危険がいっぱい、胡散臭い、と敬遠されがちである。非科学的な部分も多いし、そこに依存するのは違うと思う。ただ現代でも、科学だけでは生きていくのは厳しいように思う。
小さな子どもたちは、お話が好きだし、古来より多くの民族が民話や神話を作り出してきた。
人は何かしらの物語を持つことで、失敗したときの立ち直り方や、不運を忘れる方法を得てきた。
その一つが占いであるように思う。当たるか当たらないか、よりも、そこに出てくる言葉を読むことで、自分の今の課題や状況を見つめ直し、納得できる部分は取り入れ、違うと思ったところは忘れればいい。

さて、その占いによると、私は今、15年くらいの時間をかけて、自分のやりたいこと、願いを叶えるために躍起となってきたそうだ。
その願いとは。
15年前に何を願ったのか、そしてそこから今まで、私は何を頑張ってきたのか。

思い当たることの一つは、仕事でのことだ。ある一つのテーマについて、熱心に取り組みを進めたい、と考えていた。そしてそれを、多くの人に伝える場に出たい、と憧れていた。
そして、その願いは、ここ5年間で見事に叶った。それには、先生の力も必要だった。

もう一つは、やはり子育てがしたかった。
15年前、と言わずとも、就職してからずっと結婚して、子どもが欲しかった。
しかし15年前くらいは、もう結婚も出産も無理かも、と諦めていた。その諦めの日々から、程なく現在別居中の夫と出会い、最短コースで交際、結納、妊娠、結婚、出産、マイホームを持つ、と願いを叶えてきた。
中でも、出産や育児は、まさに私のやりたいことだった。子どもを持つことで、地域での人間関係は広がり、様々な知識を得た。
子どもからも学ぶことは多い。縁あって、3人の男の子の親になれたのだが、私にとっては、どの子も愛すべき存在である。それでも、日々、怒鳴ったり、愚痴ったり、支配的な部分も多く、いわゆる毒親の要素も絶対にある。

今、夫と別居しているわけだが、本当に様々な点において感謝している。
子どもを得られたこと、私に育児をまかせっきりだったことで、私の好きに子育てをさせてくれたこと、そして私が子育てしやすいように自ら別居してくれたこと、などである。

ただ、15年前の私がはっきり願いを持っていたか、というと、そうでもない。あくまでも、振り返ってみて、そうだったのだな、と感じただけだ。

映画では、その願いを預けることで、それに煩わされるされることなく、すっきりする感覚があるようだ(無気力になった者もいた、たしか)。それもまた面白い。願いをはっきり持つことで、生き生きする人もいれば、それに執着しすぎて苦しむ人もいる。

願い、と言ったって、大小様々だし、自分だけで叶うものもあれば、多くの人を巻き込んでしまうこともある。
例えば、私が今、妻帯者の先生と絶対結婚したい!と願ったところで、それは愛のチカラだけで叶うものでもないし、すでに法律上、妻となっている方やその親族さんから見れば、単なるワガママである。
映画の中でいくと、そういう願いは、永遠に叶うことはないだろう。

じゃあ、私にとってパッと浮かぶ願いは何か。
短期的な願いは、
Aフルマラソン、完走できますように!
である。
長期的には、
B経済的に安定した生活ができますように!
である。
願いAなんて、人に叶えてもらうものではない。ましてや預けて忘れる、なんてことになれば、走る練習すらできない。

フルマラソン完走の何が楽しいって、人によってそれぞれかもしれないが、私は、その日までできるだけ計画的に走り、走れる身体をつくること、そして完走できたときの達成感を得ることが楽しいのである。
願いBも、たしかに宝くじに当たるとか、ギャンブルで大勝ちするとか、偶発的に叶うこともあるかもしれないが、倹約したり、生活費を見直したり、生活そのものの改善によるものだと考える。

いろいろ書いたが、こんなに「願い」ということについて考えるとは思わなかった。
(他にも、子どもたちとは、個人的な願いが叶えられるためには、まず平和でなければね、なんてことも話し合った)

途中、国王役の有名俳優さんの顔がチラついて、集中できなかったところもあったが、私にとっては良い時間になった。

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