誰と暮らすのが一番幸せなのか。
テレビを買い替えたときに、家電量販店さんから動画配信サービスの加入を勧められた。
雑誌も読めますし、2ヶ月無料です、
と言われ、まず長男が乗り気になった。
雑誌も無料だそうで、いつも早めに歯医者に行った時、あるいは子どもたちの定期検診待ちのときにしか読めない、分厚い女性ファッション誌が読めることに私も期待した。
ただ、老眼が始まっているのか、小さな画面でスクロールしながら読むのに、すっかり疲れてしまった。
小学生の弟2人にも児童書を読むように勧めたが、
図書室で読んでるから、
と、あまり乗り気ではない。
そして中学生の長男だけが、深夜までアニメを見続けるのだが、これも推奨できない。
新しい文化が我が家にやって来たが、結局のところ、継続はされないままになるようだ。
とはいえ、秋の三連休、ヒマな時間ができたので、先生(婚外恋愛中の相手。職場の下の方の上司。単身赴任中)が以前より一番好きな映画、として公表している作品を初めて見てみることにした。
「パリ、テキサス」という映画だ(いわゆる、ネタバレする内容をたくさん含みます。含まずに書けません)。
このnoteで検索しても、たくさん批評記事が出てくるし、昨年公開された「パーフェクト デイズ」の監督さんの作品なので、若い方の中でも、ご存知の方が多いのではないだろうか。
「パリ、テキサス」と「パーフェクト デイズ」、この2つの映画の共通点、などもおそらくたくさん書かれてあると思うが、主人公の口数の少なさと、音楽の素晴らしさである。
後者の方の音楽は、サウンドトラックCDはないのかな?と検索してみたが、いや、CDじゃないのよ、カセットテープでしょ、あんなに主人公がカセットテープをこよなく愛していたのだから……ということなのか、探せなかった。
前者の音楽に関しては、その道に造詣が深くない私にとって、語彙すら怪しいのだが、それでもギターの響きは心に残っている。荒野、孤独、そういったものを表現するのに、ふさわしい、と簡単に述べられてしまうくらい、その印象が強い。
さて、この「パリ、テキサス」の後半、視聴するのが辛かった。前半ほとんど出てこない、ナスターシャ・キンスキーが演じる主人公の妻に対する夫、つまり主人公であるトラヴィスの感情が、私が共感できる部分と、おそらく夫がそうだったのだろう、と推察される部分が混在し、非常に複雑な気持ちだった。
まずはトラヴィスと別居中の夫との共通点、それは妻に対する嫉妬だ。わざと帰りを遅くして、若い妻に他の女性がいるのでは、と思わせたかったトラヴィスは、ただ心配するだけの妻に対して、さらに不満を抱える。
私の夫は、先生(同じ職場の、その時は同僚。今は婚外恋愛の相手。言い訳のようだが、はっきりお互いの意思、つまり恋愛感情があることを確認したのは、夫と別居してからだ)の存在をLINEのやり取り等で知り、私に対する嫉妬心が生まれた(念のため断っておくが、もちろん私は映画に出てくる妻ほど美しくもないし、ましてや若くもない。なんなら夫の方が7歳も歳下だ)。
その嫉妬心から、私に偽りのエピソードを語り出したことがあった。
職場の後輩で、仲良くしている女の子がいる。子どもはいないがバツイチで、サバサバしていて、話しやすい。実は個人的に相談を持ちかけられていて、一度2人で飲みに行った……と、
どういう経緯だったか、いきなり語り出した夫の話を聞きながら、
それはいいことだ、あなたはその後輩と、新たな人生を歩んだ方がいい、
と、心から喜んだのだ。
もちろん、私を自由にしてほしい、という気持ちもあったが、それよりも、もう私では、夫と良い夫婦関係が築けないと感じていたからである。
次に私と、口数の少ない夫である主人公トラヴィスとの共通点は、パートナーと、精神的にうまく話せない、ということである。
トラヴィスは、いなくなった妻を、一人息子のハンターと追跡した結果、再会を果たす。
海外の、その当時の風俗事情は存じ上げないが、壁越し(マジックミラー?男性から女性の姿は見えるが、女性の方からは男性の姿が見えないつくり)に、様々なコスチュームを着て、電話越しに男性と話すことを生業としていた妻に、客としてトラヴィスは再会するのだ。
差し障りのない会話のあと、かつての自分たちの夫婦関係について、懺悔のような内容が、夫から切々と語られるのだが、その間、トラヴィスは妻を直視することができない。妻を見ながら、うまく話せる自信がない。
この主人公の姿は、まるで私のようだった。
そして、心の底から、共感した。
私も、別居されて以来、一度も夫と出会っていないし、話すこともない。しかし、わかる。今も、私はうまく夫と話せない。自分の思いを伝えることなど、できない。
なぜなら、それはおそらく、私が今の夫に抱いている最も大きな感情が、恐怖だからだ。
もう少し詳しく述べると、出会えば、話し合いを求められるかもしれない、ということ、に対する恐怖だ。
きっと夫は、正論を持ち出して、自分の非を認めようとしないのではないか。
例えば、この家を追い出してしまったことに対して。
妻である私が、夫以外に、思いを寄せる相手ができてしまったことに対して。
家事や育児をしてこなかった夫に、改善や協力を、妻である私がうまく求められなかったことに対して。
様々な理由で湧き上がってくる、かつては愛したことのあるパートナーに対する恐怖に共感しつつも、私の理由と、この映画の主人公のそれとは、同じものとは思えない。
ただ、その恐怖のため、自分の姿を見せられない夫に近づきたい、と願い、それを拒否される妻の姿を見て、隣にマンガを読み続けている長男がいるにも関わらず、涙が止まらなかった。
映画では、2人の息子であるハンターが、母と再会するシーンで終わる。そこにトラヴィスの姿はなかった。もしかしたら、勘違いかもしれないが、母と子で暮らしていく、というような印象を受けた。
そこで、私は疑問に思う。
この少年は、幼い頃に置き去りにした、そして、経済的にも不安定な、しかし自分を愛してくれる母と暮らすのが、本当に幸せなのだろうか。
それとも、同じく不安定な立場の父と暮らす方がいいのか。
はたまた、物心ついてからずっと育ててくれた夫の弟と、その妻(つまり叔父、叔母)と安定した生活に戻る方がいいのか。
この正解は、誰にもわからない、ようにも思う。
そして、この少年の課題は、我が子たちの課題でもある。
ラストシーンまで来て、自分の家族が抱える現実的な問題を突きつけられたように感じた。
離婚をしたい、と願う私には、少し不向きな映画だったのかもしれない。
好きだっておっしゃっていた映画、観ました、
と先生に伝えたいと思っていたが、この感想、感情は伝えるべきか。
今はまだ、おそらくうまく伝えられないだろうから、私の胸にしまっておく。
それは恐怖からではなく、自分の不安定さを、敬愛する先生には見られたくないからだ。
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