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過去のレコ評(2020-2)

(2020年「SOUND DESIGNER」誌に寄稿)

「CEREMONY」King Gnu

東京芸術大学出身という匂いが薄れてきたことを、今は褒め言葉として使いたい。ライブ会場が大きくなり、遠くまでエモーションを届けるためには、コードもリズムもシンプルな音楽が必要だ。そして音色は歪んだ倍音の多いものが必要。何より歌のエモーショナルさが直球で届く。これは、クラシック音楽の歴史においてもワーグナーなどが辿ってきた道程と重なる部分がある。さて、今回のアルバムのハイライトとなるのは、2,3,4,5曲目のタイアップ楽曲群だろう。こうやって並べて聴くと気づくのは、勝ちパターンのコード遣い。ギターとピアノをこなす常田の手癖と、リスナーの求めるものが一致する部分が濃厚に表れている。それは「F→E7→Am」のようなマイナーコードに帰結するドミナントモーション。これに地域性は無いはずなのだが、彼の手にかかると多分に日本的に感じられるのはなぜだろう。アルバム後半もバラエティに富んだ楽曲が続くが、よく聴いていると随所にこのモーションが偏在していることに気づく。コンセプトアルバムの全体を覆う雲のように。

「Kiss from the darkness」SCANDAL

全員がソングライティングを手がける4人組みロックバンド。もはやガールズバンドと言うカテゴライズは無用だ。今作で注目したいのは、ギタリストMAMIのアレンジ。例えば4曲目、イントロが始まりAメロに入った瞬間。コードはGなのに、ギターのメロディのドが残っている。2番でもアウトロでも同じことが起こっている。Gのメジャーコードを規定するシと半音でわざとぶつけているのだ。「最終兵器=君」という、何もかもねじ伏せるような力のあるメッセージと相まって、強引かつ説得力のある否定しようのない音楽となっている。かと思えば、8曲目のような手堅いポップロックナンバーのアンサンブルもきっちりと仕上げている。特に9曲目のアレンジが面白い。ドラムスRINAの曲なのだが、リズムも変則的で個性的だ。ライブでRINAが歌うことを想定してのアレンジなのかもしれない。音楽制作の自由さに溢れている。タイアップ曲である10曲目さえMAMIがアレンジしているところに、そのスタンスが計り知れる。あみだくじを「A.M.D.K.J. 」と言ってしまうところもロックだ。

「宮本、独歩。」宮本浩次

カッコいいとは何か。自分がカッコいいかどうかを考えている時点でその人はカッコ悪い。カッコ良いかどうかなんて気にせずに前しか見ていないのはカッコいい。更に、確かな技術を持っているのはカッコいい。その技術は、目的ではなく手段なのだから、技術をうまく使うことになんか興味がない。ましてや技術を見せびらかすことなんかには一切興味はない。技術を使って自由に表現できる、それがカッコいい。技術は世界観を表現するためのものであり、結局はブレない世界観を持っているのがカッコいい。ではそれがどういう世界観なのかというと、もちろんそれは言葉では表現出来ないもの。が言えるのは、それは人を前向きな気持ちにさせてくれるということ。それはとても真面目な世界観。真面目すぎるので、少し笑ってしまう。そこがユーモアの真髄。笑わせるためにやっているのではなく、一義的には緊張感を共有するためのもの。その緊張がほぐれる瞬間に人は笑う。緊張が弛緩する瞬間を、共感と言っても良い。その共感を求めて、人は宮本浩次の歌を聴くのだ。

「ボイコット」amazarashi

ザラザラした感触。生々しい感情。声の超高音域の周波数をうまく使い、うっすらと重ねられたモジュレーションがその効果を増幅している。ギターなどは大きく左右に振られ大きな画面を提示する。そうすると画面の真ん中がポッカリと空く。そこにいるのはベース。存在を主張するでもなく、淡々とそこにいるベースの在り方に、このアルバムの音像のオリジナリティを感じてしまう。例えそれが、意図して行われたものかそうでないかは重要ではなく、なんとなくそうなってしまうもの、そうならざるを得なかったものに、モノづくりの本質があると考える。モノは人が作るのだから、その人の個性が出るのは当たり前。ひとりで作るものでないとしたら、誰と組んでそれを作るか。誰を選ぶか。誰が周りにいるか。誰とどんな会話を交わした末にその作品が出来上がるか。それらも、広義での個性と言える。その個性の現れとしてのモノづくり。そこに面白さがある。今回のアルバムはエレクトロの要素が強い。ミックスには音響系音楽からの影響が大きい。それが彼らのアティチュード。

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