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自カプのためなら死ねると信じていた自分へ

繊細で愛が重くて感受性が高すぎるこじらせ女オタク、一言でまとめるとめんどくせえ腐女子というものがいる。わたしのことだ。

めんどくせえ腐女子のめんどくせえところはいろいろある。めんどくせえ自覚はあるが、めんどくせえからこそ命を燃やすほど好きなものに愛を捧げることもできる。
それだけ入れ込むからこそめんどくせえ性質が顕現してしまう。

約10年以上ハマっていて同人誌をこさえているジャンルがある。
なかなかメディアミックス展開されず悶々とし、されたらされたでいろんなことに傷ついたりした。
めんどくせえと自覚しながらも、でもいちばん好きだからこのジャンルと一緒に死にたい…死ぬしかない…。と思っていた。

ジャンルそのものにハマってから、二次創作するに至るまで2年かかった。わたしは二次創作に向いていない。とにかくスピード感がない。何度も何度も作品を反芻し咀嚼しないことにはなにも書けない。
あとこの2年のブランクは、ジャンルとの出会いと自カプへの完全な目覚めまでの期間でもある。

そもそも二次創作小説を書くこと自体が中学生のとき以来だった。創作はしていたがオリジナルや1.5次創作と称した、キャラを意識しつつも名前はぼかしてそれっぽく書いたりすることしかしていなかった。
それで楽しかったし、向いていないし下手だからできることなら正式な二次創作はしたくない、と逃げていた。

しかしそうも言っていられなくなる。
自分が求める自カプは、自分が書かなければこの世に存在しなかった。
自分が書かなければ自カプは死んでしまう。そんな追い詰められるような気持ちで自カプの二次創作を始めた。
はやく証明しないと、この2人がこうなってほしいという気持ちを具現化しないと、進み続ける原作の時間や実際の時間の流れに淘汰されて自カプは死んでしまう。

書いてみたものの、うまく表現できない自分に憤った。どうしてこんな下手くそなものしか書けないのかと、どうしてこんな下手くそな自分が書いているのかと常に憤っていた。

生まれて初めて同人誌を作ったときも、世界が自カプを大事にしてくれないから! 気づいてくれないから!! 作ってくれないから!!! だからわたしみたいな下手くそが書くしかなかったんだよ!!!! という怒りで作ったことをよく覚えている。
自カプが存在していて、自カプのことだけひたすら考えている人間がひとりでもいることを証明したかった。そうして本を出すに至るまでもまた2年かかっている。
証明し終えたらあとはもう死のうと思っていた。大げさだが「ふらみん」という自カプを愛した人格を消そうとさえ思っていた。

しかし初めてサークル側として参加した同人誌即売会があまりにも楽しかったので生き長らえることになる。
死ぬために作った同人誌は、最期の思い出としてふさわしいものにしたかった。なのでめちゃくちゃ装丁がかわいい宝物のような本にした。中身は下手くそすぎて今でも読み返せない話もあるけれど。
自カプのサークルはわたししかいなかったが、ついったーのフォロワーさんや全く知らない人まで「楽しみにしてました」など優しい言葉をかけてくださり、本を手に取ってくださった。
自信がなく20冊ほどしか刷らなかったわたしの初めての同人誌は、そこで完売した。

ここまでもじゅうぶんめんどくせえ。

自カプに目覚めて本をこさえるまでの自分を支えていた感情は、間違いなく怒りだった。
とりあえず「ふらみん」は生き長らえることになったが、本を出したことで怒りはすっかり成仏してしまっていた。そして当時は「怒り」が自分を支えていたことに無自覚だったので、どうにもモチベーションが上がらないことに悩んだ。

やっぱりあのとき死んでおくべきだったのでは? これ以上なにかを書いても蛇足にしかならないのでは?

などと思いつつも、少しずつ増えた自カプを愛する人たちと交流することが楽しかったのでまたやめるということも言えなくなっていた。

そして転機が訪れる。自ジャンルのアニメ化である。

アニメ化によって爆発的にジャンルの人口が増えた。前々から常に、アニメ化さえすればジャンルも自カプもマイナーの憂き目に遭うことなんてなくなると信じていた。
もうとにかく原作が素晴らしいのだから。わたしが腐女子であることを差っ引いてもこの漫画は最高オブ最高で、誰でも読めば「おもしろい」と感じるはずだから。

そしてその兼ね合いもあり自カプが4年ぶりに会話したり、それぞれの過去番外編なんてものまで描かれることになった。
お祭り騒ぎである。
そもそも4年も会話をしていなかったことにも気づかなかったほど既刊を読み返し続けていた身からすれば、神(作者)からのご褒美のようだった。

だが人口が増えることで解釈違いという新たな悩みが生まれた

解釈違いは繊細な問題だ。今でこそどうしたって他人なのだから全く同じ解釈になるわけがないということを理解しているが、当時は頭で理解できても感情に腹落ちさせられなかった。

いやどう読んでも原作のこの話があるからこそ自カプが成立するんだろ!! 読解力がねーのか?! その目は節穴か?!?! あと3億回原作読んでから出直してこいや!!!!

みたいな憤慨をよくしていた。今でも思うことはあるけど。
とにかくその頃の自分は正気の沙汰ではなかった。2年で1万文字にも満たないような文字数の本をなんとか5冊こさえていたというのに、同じ期間でほとんど2万文字前後の文字数の本を7冊出したしアンソロへも寄稿したし合同誌もさせてもらったしweb用の更新もした。とにかく書いて書いて書きまくった。
解釈違いを絶対に殺すという怒りがまたしても原動力になっていた。

人が増えたことでいいことはたくさんあった。読んでくれる人が増えたり、泣くほど嬉しい言葉をもらったりした。このカプを愛していてよかったと感じられる作品にも出会えた。
自カプのアンソロが発行されたりプチオンリーが開催された。イベントで両隣を自カプのサークルさんに挟まれることができた。次々と夢がかなった。

しかし「少ない」とか「全然ない、マイナー」とか「これといってツボにくる小説を見かけない」だとかそういう、他人の言葉に勝手に傷つくことも多かった。

わたしが下手だから自カプの良さを伝えられない…。わたしが小説書きだから他人の印象に残れない…。これだけがんばって書いてきたのに、自分の解釈をずっと信じてきたのに、影響力がある人がそうではない解釈を選んでしまう…。わたしに力がないばかりに…。とたくさん凹んだ。

めんどくせえ腐女子の本領発揮である。

強い言葉をたくさん使った。それでもいつか数の暴力で淘汰されるのではないかと不安だったし、だからといって絶対にそうはなりたくなかった。
淘汰されるくらいなら全員殺してやると思っていた。絶対に屈しないし、もしどうしても排除されることになってしまったとしても絶対どこかに爪痕だけは残してやる、ただじゃ排除されてやらねぇと思っていた。

そうしてまた4年以上の月日が経った。
3年経てば、周りのジャンルはあっさりと変わる。殺すことも殺されることもなくまた生き長らえた。
わたしは次の5月に出す本と、来年に今まで書いた話の再録本を作ったら一旦自カプでの同人活動を終えることを宣言した。自カプに目覚めてちょうど10年になるから。これ以上、あんなに怒れることはないと思いたいから。

わたしは普段あまり怒らない。周りからも怒ることあるの? と聞かれたり、少しでもイラついた様子を見せるだけでめずらしいねといわれたりする。
しかし好きなものがないがしろにされたと感じるとめちゃくちゃ怒る。web上では好きなものの話しかしないから、そういう怒りの感情がよく発露されていた。

わたしを突き動かしていた感情はいつも怒りだった。自分に対しての憤り。他人に対しての怨嗟にも似たような怒り。
いつもいつも、生きるか死ぬか、殺すか殺されるかというくらい自カプに入れ込んで殺気立っていた。
今でもそれくらい好きだし、その気持ちは早々に消えるものではない。なんだって好きになったものは、死ぬまで好きだから。

これからも怒ることはあるだろう。好きだから。自カプも、作品自体も。
だけど以前みたいに、この作品と一緒に死ぬしかないとまでは思わない。

命を燃やすほどなにかを愛しているときだけが、生きている実感が持てた。ほどほどにハマるとか、ライトに楽しむとかは今後もむつかしいだろう。そういうことができない性質なのは自分がいちばんわかっている。

それでももう少し、これまでより楽な気持ちで自カプや二次創作と付き合いたいと思う。
今の自カプでの同人活動は一旦区切りをつけるが、もうやらないわけじゃない。まだ最高オブ最高な原作は続いていて、今後の展開では「本を出さなきゃやってられん!!」という情熱が灯される可能性は大いにある。

わたしにはこれしかないという思い込みから、少しずつ離れて視野を広く持ちたい。
書かないと人権がないとか、証明ができないとか、自カプが死んでしまうとか、これを書いたらもう書けるものがなくなって解釈違いと戦えなくなってしまうとか、そういう気持ちがなくなるわけじゃない。

でも、自分で自分を追い詰めるのはもうやめようと思う。
わたしが書きたいから、楽しいから、自カプを書きたいという気持ちを大切にしたい。

今までずっと自分はここにいていいのだろうか、どうして自分なんかがここにいるのだろうかという気持ちを抱えていた。
わたしのような力のないただめんどくせえだけの腐女子に愛されてしまった自カプがかわいそうだという気持ちが拭えなかった。
どれだけ他人から嬉しい言葉をもらっても、自分だけは自分を許せていなかった。

わたしは今でも自分の書くものは全然うまくないし、才能も適性もないと思っている。
自カプに対して抱えている感情をもっと的確に素晴らしく書き出している人がいるかもしれないし、もしそんな作品を読んでしまうともう書けなくなると思っているので、自カプの小説はほとんど読まなくなった。

だけど始めた頃よりは、技術だけは向上したと思う。昔の話を読み返し、どこが足りなかったのかはわかるようになった。

その技術を手に入れることで、死を覚悟するまでしなくても二次創作はできるということも今はわかった。
これまではずっとそれくらいしないと作品に失礼だと思っていたし、下手くそなんだから当然だと信じていた。
下手くそが戦うには、命をかけるしかなかった。わたしにはなにもなかったから、命をかけて全てを自カプに捧げることしかできなかった。自カプのためなら死んでもいいと、比喩ではなく本気で信じていた。

それでもここまで続けてこられたのは死ぬほど自カプが好きだったからだし、同じく好きだといってくれる人がいたから。
べつにずっとひとりきりで戦っていたわけじゃない。感想をくれる人や共感してくれる人はたくさんいた。こんなに殺気立っていたのに、仲良くしてくれる人はありがたいことにたくさんいた。

だからこんなに愛せるものに約10年も命を燃やすことができて、幸せだったという感情が最後に残る。

嘘偽りのない気持ちだ。わたしの人生にこの自カプがあって本当によかったと心から言える。
自カプを書いているあいだ、特に最初の2,3年は本当につらくてつらくて投げ出したかったのに、わたしはよく耐えた。よくやった。よく逃げずにここまで書き続けた。

これだけ愛せるものに出会えて、ここまで入れ込むことがあとどれくらいできるだろう。
でもわたしはできた。わたしだからできたと、今だからこそ思える。こんなにも自カプに入れ込んだ人間がいたのだと、これからは胸を張って生きていける。

全然うまくないけれど、自分の話は好きだ。自分で読んでも世にある自カプの二次創作の中でいちばん萌えるし、いちばん正しい解釈だと思っている。

わたしの自カプはそれくらい最高で、命を捧げる価値のあるものだった。これから先もそれは揺るぎない。
約10年書いてきて、やっと、自分を許すことができた気がする。

あと2冊、ちゃんと自分にお疲れ様を言うためにがんばります。

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