“木の文化の再生に向けて”その一”  「見て盗め。」、「体で覚えろ。」、「手を使え。」

昔、丹後半島伊根の山中にあった古民家を解体したことがある。尺上のケヤキの大黒柱は背割りも入っていないのに表面割れはほとんどなかった。長いこと使われているのでこれ以上は割れないだろうと安心していた。ところが、 解体して寝かせて保管している過程で音を立てて割れ始めた。柱の縦方向に掛かっていた梁桁全体を支えてきた応力が解放されたためと考えられる。昔から、木組みは“くせ組み”と言われてきたことが如実に示された結果の一つであろう。
私達が当たり前のように使っている木材は、鉄やセメント、プラスチックのような無機物や人工的に合成された有機物ではなく、樹木という生命体から得たものである。単一の組成分と単純な機能を持つ工業製品とは全く異なり、そのものが多成分系の複雑な構造と機能を備えている。それゆえ、同じ生命体である私達の五体、五官が感応し総体として受け入れる機能を備えていると考えてよいだろう。この木材を用いて家を建てる大工さんは、棟梁である親方から叩き込まれたのが、「見て盗め」、「体で覚えろ」、「手を使え」ということであった。人が五体、五感を使って身に着けることの重要性を伝える大切な言葉であろう。これらの言葉は現代の文明社会にあって死語になりつつある。
前にも述べたように、現代文明は科学技術という手段のみを目的化し、これによってもたらされるマイナス面は一切考慮してこなかった。
科学技術に関わる者たちは、子供が一つのものに拘り、そのことに夢中になり他を一切顧みないという時期があるが、大人になってもこの時期を延々と続ける稚戯に等しい輩であろう。「一芸は多芸に通ずる。」という諺があるが、これは人系の世界のことで、物系の世界には当てはまらない。オートメーションのシステム開発に夢中の技術者は、この技術を発展させることで人々を労働から解放するという美辞麗句を並べるが、その結果多くの人々が職を失うことを考慮しない。
コンピューターの記憶素子をGからTに上げることに夢中の科学者は、10億通のメールのやり取りにより、サーバーが消費する電力のエネルギー使用量が炭酸ガス排出量に換算すると1000tにも達することを考慮しない。一般大衆もFace Bookや他のSNSで「いいね」を言ってもらうための他愛もない投稿に血道を上げる結果が地球環境に巨大な負荷をもたらすことを考えもしない。恐るべき負の循環である。
自然界は、常にプラスとマイナスの調和の上に成り立っているのは自明の理である。物の循環ではなく、いのちの循環を考えなければならないのではないだろうか。
(続く)


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