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整える習慣と、積み重ねる習慣

webのnoteとは別に、紙のノートを毎日書いている。

noteが内省してまとめるものなのに対して、ノートは思考の発散と確認用。思いついた単語を書き散らしたり、気になっていることを図にしたり、好きなものをリストアップしたり。加えて休みの日は、やりたいことをつらつら書いている。

たとえば今日だったら、こんな感じ。

筋トレ
ランニング
ピアノ
読書
note(書く・読む)
髪を切る
図書館予約する
掃除
CULTIBASE Labの動画を観る
本屋さんに行く
AirPods Proを買う

習慣的にしていること、定期的にやりたいこと、雑事。わたしにとってこれらは、繰り返される日常の一部だ。けれど他の人から見たら、変わったものに見えるのかな、と、ふと思った。


CUTIBASEの動画、組織と事業を支える「観察力」の鍛え方 を見た。

一番印象的だったのが、観察を「いること」と「すること」に分類していたこと。

いること(being)としての観察
「マクロ、俯瞰的、静的、武道の構え、常時発動、中動的、状況に揺るがない」
自身のアイデンティティに基づいて、いついかなるときもとってしまう態度

すること(doing)としての観察
「ミクロ、凝視的、動的、武道の攻撃、任意発動、能動的、状況に適応させる」
状況や課題、明確な目的に基づいて、対象を客観的かつ組織的に解剖する技

「在り方の観察」と「行為の観察」とも言えそう。beingの観察はスタンスで、doingの観察はスキル、と言い換えてもいいかもしれない。beingの視点はわたしにはないもので、すごく面白かった。


わたしが普段ノートに書いているやりたいことも、同じように分けられそうな気がする。たとえばこんな風に。

状態を整えるため(being)の習慣
…筋トレ、ランニング、ピアノ、noteを書く、髪を切る、歯を磨く、風呂に入る

達成や変化のために、行為を積み重ねる(doing)習慣
…読書、noteを読む、CLUTIBASEのコンテンツを見る、

beingの習慣をベースに、doingの習慣を。まずは土台となる状態を整え、自分を磨くための行為を積み重ねる。心地よい自分の状態をキープしながら、インプットやアウトプットを積み重ねて自分をアップデートする。

このバランスが大事なのではいかと思う。


休みの日の過ごし方を書いていたら、最初あさみさんの「1日休養、1日教養」についてのnoteを思い出した。

心の栄養としての「教養」。美術館に行き、友だちと語り、素敵な場所で食事をする。コロナが落ち着いている今のうちに、できることをしたいなと思う。


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