見出し画像

私らしく生きるコツは「正しさよりも、面白さと楽しい」を選ぶこと

とあるメディア用に2022年12月、執筆したものです。(掲載ならず)今の気持ちも加えて加筆修正してから、noteに掲載しようとも考えていました。ですが、このときの気持ちを大事にしたいと思い、このまま載せます。

長女が重い病気と障がいをもつ子どものママの「ともよ」です。

その子との生活は、普通の人生では体験できないことをたくさんさせてもらいました。
そんな自分もついにアラフォーに突入。
さすがに大人になった…というかさせてくれたというか

年齢もあるし、ママになったのもあります。
イケメンにときめくより、頑張っている男の子(に限らずですが)を見て応援したくなるようになりました。
それまでは自分のことと子どものことでいっぱいで、とにかく頑張っていたように思います。

なにがキッカケだったのか?
過去を振り返れば私が大切にしていたことは、誰になんと言われても一つのことでした。

もし今、似たように悩んでいるママがいるのなら、そのママへの声援になればとも思います。

それにしても、誰かを応援するって自分も励まされるし、頑張っている姿は何よりカッコよくて可愛いのです。
それって「最強じゃん!」って思ってしまいます。


面白い楽しいはみんなそれぞれ

「女はみんなイケメンが大好きで、ジャニーズが好き。」
だと断言している人がいた。

う〜〜〜ん。
なんか面白くないし楽しくないと思うのは私だけ?

ハンディキャップをもつ子どもに、この子は「子ども」じゃなくて「障がい児」だと押し付ける人もいた。

いいじゃん。「子ども」でも
と個人的に思う。
ただ残念なことに、公共の福祉を利用しようとすると「障がい児」でなければならないのだ。

面倒くさいなぁ〜〜〜。

なんで?
こんなに決めつけられるの?

人間(ヒト)の本質として、誰もが「未知のもの」
自分が知らないものに対して不安に感じるから

なのだと、なにかの本で知った。
さらに人間は、面倒くさがりで決めつけてラクをしたがる生き物。
マメだと言われる私だって、ラクできることはラクしたいと思うのだから、周りはもっとなのだと知った。

今、日本だけでなく世界は多様性のある社会をと謳っている。超少数派だった私の子どもにとって生きやすい社会に変わろうと変化している。

と素直に喜びたいところだけど、残念ながら彼女はもがきにもがいて天寿を全うし天国に旅立った。
4年も前のことだ。

哀しみも立ち直り方もそれぞれ

ママとして「我が子」を看取ることは辛いことでしかなかった。
けれど、彼女の生きる逞しさにひとりの弱い人間として気がついたら惹かれていた。自分の娘であったけれど誰よりもファンだったのだと思う。

長い闘病生活から旅立ったあと、やっと我が家に帰ることができた。そのとき、私は夫に言った。

「人生でこんなにも恋した子はいないし、これからもいない。」と

夫は「うん。」と言った。

肯定してくれたのは嬉しかった。ただ妻としては「俺も同じぐらい君を好きだよ。」と言ってくれたら最高の夫なのだが、そうではないところが私の夫らしい。

似たもの夫婦なのだ。
自分の本音を上手く言えない私たち。娘が生まれてから散々言い合いして喧嘩もした。
我が子が生まれた喜びを感じる暇もなく「重い病気と障がいをもつ子ども」の親になった。その重圧にそれぞれ必死で戦っていたのだと今なら思う。

娘からギフトされた最高のプレゼントは、夫と夫婦としてだけでなく戦友になれたことだ。
そして、「どんな人でも与えるものがあり、互いに与え合って生きている」ことを、私は彼女を育てつつ教えてくれた。私にとってこれほどの最高のプレゼントはなかった。

ずっと言葉にして言いたかった。
「この子を生んでよかったんだ!」って。

誰よりも肯定してくれたのは娘だった。

これ以上の最高のプレゼントは、今後の私の人生においてもないと思ってる。
だから、旅立った後も前を向いて頑張れると思ってた。
でも、それは周囲を勘違いさせるだけだった。

私が「私でしかいられないこと」を許す

「死んで(ラクになれて)良かったね。」と何人かの人に言われ続けてきた。
私はずっと黙って無視するしかなかった。
重い病気と障がいをもつ娘との生活に楽しいことは、ほとんどなかったのも事実だったからだ。

「そんな子を育ててどうするの?」
と娘が生まれたときに言われた。

子どもを産んだ産院の先生に弱音を吐こうとしたら
「産まなければ良かったなんて思わなくていいのよ!大丈夫だから!」
と良かれと先に言われた。

(…私、まだ何も言ってませんが?)

わかる?
そう口封じされて、どれだけ傷ついたか?
所詮他人事なのだ。と当時は思った。今思えば相手もそれぞれ必死だったのだろう。

本当に面倒くさいなぁ〜〜〜。

そして何よりも面倒だと思ったのは、私の気質だ。
良くも悪くも、相手が自覚していない気持ちすら汲みとってしまう。
最近になって、ようやく自分の生きづらさに気がついた。

だから、自分を許すことにした。
キッカケとなった人、関わってくれた人たちに心から感謝している。人は一人では生きられない。

まわりに頼っても(迷惑をかけても)いいのだ!
ただし相手だけはちゃんと選べ!
弱音を吐いたとたん、上から目線でアドバイスする人もいた。
甘えるな!と逆ギレされたこともあるからだ。

面倒くせぇ〜〜〜。

最後に

なぜ?
言葉にしようと思ったのか?
と疑問に思う方もいるかもしれない。

今、私は昔からの憧れだった料理研究家を目指しつつ、「食」をメインとしたライターに挑戦しているからだ。
私の経験に「障がいと難病の子どものママ」がある。

私の「食」のテーマは人もペットも心地よくなるごはんをなのだ。

娘は生まれつき飲み込みが上手ではなかった。
それでもママとして、少しでもおいしさや健康につながる食を口から味わってほしかった。
最後、彼女は彼女用に食べやすい形にした「とろみ食」によって、楽しくおいしくごはんを食べてくれた。
その経験をもとに「食」について、当事者家族として書いてもいいのではないか?と思えるようになったからだ。

もしこの文章を読んで共感してもらえたのなら、どうか私のことも応援してほしい。
私は一人では生きられないのだから。

ともよ

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?