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叱ることは大切な教育である。叱られることが貴重な経験である。

西武グループ創業者 堤康次郎

●岡山城主、池田光政は名君としての誉れが高かった。ある日、光政が家臣と伴食したとき、汁の中に虫が入っているのを見つけた。そのままふたをした光政は、家臣に、「本汁はご無用になされ、二の汁を用意してある」といった。

●食事がすんだ後、光政は役人を呼び、先ほどの虫の入った汁を見せた。「残念であった。これからは、よく調べてからはこんでまいるがよい」 光政が、それ以上とがめだてしないのを見て、家臣が涙を流した。
「どうしたのじゃ」
光政が尋ねると、家臣は、「自分もいつか同じようなことがありました。そのおり、怒りにまかせて料理人に煮えたぎっている鍋を投げつけたので、全身にやけどをしてなくなりました。殿の今のお言葉をうけたまわって、若いころの血気を、慈悲のないしかたであったと思い出し、落涙してしまったのです」と答えた。

●部下が過ちをおかしたときの叱り方によって、叱ることが教育にもなれば、ただ、自分の怒りの感情を晴らし、相手を傷つけるだけに終わることもある。そのかっこうのケースが光政の逸話だ。

●光政の叱り方には、部下を思ういつくしみの心があったが、家臣の叱り方にはそれがなく、自分の怒りの感情を爆発させたにすぎなかった。

●光政のような叱り方をしてこそ、堤がいう「叱ることは大切な教育である。叱られることが貴重な経験である」という関係が成り立つのである。

●人の上に立つものは「叱ることは大切な教育である」と心得ておくことだ。そうすれば、部下がミスをおかしたときを教育のチャンスとして生かすことができる。また、そうした心がけがあれば、叱り方に部下を思う気持ちが伝わる。

●また、叱られる側は、「叱られることが貴重な経験である」と肝に銘じておくことによって、叱られ上手になり、成長のステップにすることができる。

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