見出し画像

主観と客観どっちが大事でしょーうか!

主観的に見た自分と客観的に見られた自分の評価が食い違ったとき、どっちが正しいのでしょうか!

私の答えは、感情に関しては主観が正しい、性格系に関しては客観が正しい、だ。
 感情に関しては主観が正しいというのは、感情は本人が決めることだと思うからだ。悲しい、嬉しい、いやだ、怖い、つらい、などは他人がどう言おうと本人がそういうならそれが絶対である。(だって本人が本人の感性でどう感じるかであって答えを他人が決めるものではないから)
 性格系に関しては客観が正しいというのは、自分ではそんなつもりはなくても客観的にそう見えるのであれば少なからずそのような節があるということなのかなと思うからだ。「○○ってプライド高いよね」と言われたときに自分はそう思ってなくても周りがそう感じるのであれば自分は気づいていなくてもそうなのかな、ということである。
 感情については、絶対に主観が正しいと思う。でも性格については主観が最優先という意見も筋を通るのかなという気がする。なんでこんな話をしているかというと、他人からの客観的な評価と自己評価が一致しないからであります。

私が言われて自分ではそんなつもりないのになと思ったことトップ3

  • 人の事を(職業によって)見下している

  • 今の自分がいるのは周りのおかげでなく自分の努力のおかげと思っている

  • 都合よく人を利用している

 全部そんなことないんですけどね、なんか弁明しても分かってもらえないということは客観的に見てそうではないと判断できないということだと思うんですけどこれだけ見るとすごく性格の悪そうな人ですね。確かに私は自分だったら就きたくないなっていう職種もあるし、自分の努力が無かったら今の自分は無いと思うし、風邪ひいたときとかには人に頼りたいと思う。でも、それってあんまりよくないように見えるらしい。

ちょっと汚名返上したいので高校の友達に感謝している話をすると、私の通っていた高校は進学校で、進学率ほぼ100%はもちろん、私立大学を第一志望にしていた人など1割以下だった。皆が国立大学を目指して勉強するような学校だった。生徒は皆優秀だし、先生方もこれでもかってほど手をかけて生徒に向き合ってくれる。(私は第一志望の学校の2次試験で地理を選択する人が二人しかいなかったにもかかわらず、週1回か2回のペースで「○○大地理」という講座を開いてもらった)
2019年にセンター試験を受けた人は知っているだろうが、この年は全体的に易化して平均点が上がった。周りの友達は皆センター試験後に第一志望校を変えることなく2次試験対策をしていた。そんななかあり得ないくらいミスったのが私であった。いつもとれる英語で過去最低点をたたき出し(高2の時に受けた同日受験の方が点数が高かった)志望校を落とさざるを得なかった。落としたが故にたぶん普通にいけば受かるだろうという状況になってしまって、みんなに置いていかれているような感覚も相まって勉強に身が入らなかった。それでも毎日学校に来て勉強できたのは、夏に文化祭に向けて一緒に頑張って金賞を取った皆が、尊敬すべき大好きな皆が、必死に頑張っている姿を見ていたからだった。ああ私も頑張らなあかんと思わせてくれたのは周りの友達だった。だから受験は団体戦だったなと思うし、私と一緒に戦ってくれた皆には本当に感謝してる。好き!!!!

このエピソードがあるから余計に他人からの評価とギャップを感じてしまうけれど、一方で私は人よりも努力できるところを誇っていたし、唯一の誇れるところだと思っていた。でも私が頑張れるのは、そうやって努力する環境を整えてくれた親や友達のおかげであって、私のなしたことは大したことではないのかもしれない。努力すればできないことはないと思っていたけれど、努力は自分の力だけではできないし、そろそろこの思考を変えないといけないのかなあと思う。我が強いから私はこう思ってるんだから!と主張したくなるけれど、嫌なことにも目を向けなければならないと感じます。

次に書く内容は高3の文化祭で決まりです


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?