「すき」の話って難しい / 書く習慣1ヶ月チャレンジ Day7
常に心配事が頭にある私だが、特に最近悩んでいることがある。最近というか、もうここ1年くらい。
すきなものの話をするのがしんどいのだ。
自分の「すき」を語れる人がすきだった。特に、すきな理由。すきなものって考えなくても楽しめるけれど、それを考えているのが素敵だなって。そして何より、話しているときの表情が素敵で。
なのに、最近はすきなものの話をすると、疲れてしまうのだ。人の話を聞くときは、不用意な相槌を打たないように、細心の注意を払う。自分の話をするときは、相手に気を遣わせてしまわないように、できるだけ自分で完結させる。どうしてこうなってしまうのか、たぶん2つ原因がある。
すきは共感できない
「え、君も同じものがすきなの?」となった直後、相手との微妙なズレに気づいて、しょんぼりした経験はありませんか。私はめちゃくちゃあります。
同じものがすきでも、熱量もすきな理由も楽しみ方も、人によって違う。でも、同じものがすきだとわかった時点で期待値が上がってしまっているので、その小さなズレに寛容になれないのだ。
そうなってくると、相手の「すき」を深掘りするのが怖い。どこかでズレにたどり着いてしまうから。違う人だから当たり前なんですけどねえ。
無意識にすきな気持ちを傷つける
すきなものを否定されるのって、自分を直接否定されるよりも、悲しい気持ちになる。それを無意識にやってしまわないか不安なのだ。
例えば、「〇〇より▲▲がすき」って言いがちだけれど、〇〇がめっちゃすきな人もいる訳で。これあれだな、星野源さんが言ってたやつだな。自分のすきなものを主張するために、他のものを下げる必要はないよね、っていう。
ふとした瞬間に、人のすきな気持ちを傷つけていることってけっこうあるんじゃないかしら。そうなると、もうコメントすること自体が怖い。特に、相手がすきなものを自分もちょっと知っているとき、細かい情報を出すと大抵失敗する。何も知らないふりして、話を聞いていればいいんだろうか。でも、「知ってる!」ってなると、口を挟んでしまうんだよなあ。それで毎回後悔する。
「すき」は、ひとりで噛み締めるのが1番いいんだろうか。共有できなくても、自分のすきな気持ちだけで心は満たされるし。
でも、たまには外の世界に「すきだー!」って叫びたくなるときもある。噛み締めるだけではなく、言葉にしたいときもある。そういうときは、このnoteを使おうと思う。すきな気持ちを枯らさないように。
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