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自分ごとじゃないと怒れない / 書く習慣1ヶ月チャレンジ Day8

最後に怒ったのはいつだろう。最近怒ったことと言われると、ぱっと思いつかない。

私は別に怒らない人ではない。どちらかと言うと心は狭い方だと思う。イラッとすることやムッとすることは、1日に何回もある。しかし、いい具体例が出てこないので、どんなときに怒りの種が発生するのか考えてみようと思う。


自分の中の「人として」の基準から
はみ出たとき

これは、1回あるともう相手を人として見られなくなるやつ。自分が許容できる最後の砦を突破されているので。あくまで自分の基準だというのは分かっているのだが、そこが合わない人とはこの先にも何か問題が起きる可能性が高い。だから、意外と大事なバロメーターな気がする。

そして、この基準は自分自身をジャッジするものでもある。自分の「人として」という基準から自分がはみ出たとき、激しい自己嫌悪が襲いかかる。そう考えると、基準は緩くしておいた方がいいのかもしれない。でも、基準があるからこそ成長できるときもあるんだよな。

私の基準は、たぶんけっこう多め。だから人と話していて引っかかることが多い。逆に、自分の言動を反省することもしょっちゅうある。自分の基準をリストアップしておいて、怒りを感じたときは「あーこの基準に引っかかったのね」と考えられると、ちょっと落ち着くかもしれんなあ。

過去の自分の嫌なところを
持っている人を見たとき

自分を変えたくて、やめたこと、克服したこと、捨てたものを持っている人には、接していてしんどくなることがある。過去の自分に対する嫌悪がごっちゃになっているのだと思う。嫌悪だけではなくて、愛おしさとか恥ずかしさも混ざって、複雑な怒りになる。

私の場合は、「自分を下げる言動をして、いじられることでコミュニケーションをとろうとする人」。いじってもらうの、楽なんですよ。周りから見て、なんか愛されてる感じも出るし。

でも、愛のあるいじりをしてくれる人ばかりじゃない。嫌ないじりをされても、「いじられキャラ」は怒りを出せず、へらへらすることしかできない。そのうち、人に傷つけられる前に自分を下げる言動をするようになるんです。

自分からいじられにいくことをやめてから、他の人がそれをやっていると、少し怒りの感情が湧いてしまうことがある。そんなに自分を安売りするなよ!!自分で自分を下げにいくなよ!!って。と同時に、悲しい気持ちにもなってしまうのだ。

自分と相手どちらにも
非があると感じているとき

自分が100%悪いとき、相手が100%悪いときって、怒りという感情はあまり湧かない気がする。私の場合、どちらにも非はあるけど、自分の言い分を主張したいときに怒りが代替している。「こちらに全く非がないとは言わないよ、だけどさあ!」って感じで。

相手の悪いところは直せないから、自分が悪かったところだけ直すように努力すればいいのだけど。こちらとしては、相手にも努力してほしい。自分だけ努力していたら、自分だけが悪いような気持ちになってくるから。


こうやって見ると、自分と相手を切り離せないときに怒りが発生してしまうのだな。相手に責任を負わせたくなってる自分にも怒りが湧くし。

人に怒りを感じる人は、「自分ごと」の範囲が広いのかな。自分がコントロールできるところとできないところを理解しておくことは大事だけど、案外悪いことじゃないのかもしれない。

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