見出し画像

人の都合の方が重要に感じるのはなぜ?

言わなかった自分が悪い。

それが正論だからこそ、落ち込んでしまうことがある。

「仕事後で疲れてるから家でのんびりしたい」「急ぎではないけどやりたい作業がある」それをうまく伝える言葉が出てこなくて、結果3時間以上の用事に付き合ってしまった。

相手の都合と自分の都合がかみ合わないとき、私はできるだけ最善策を提案したいと思っている。でもそれが見つからなかったとき、無意識に相手の都合を優先してしまっていることに気づいた。

この二択、なぜか相手の都合の方が重要そうに感じる。でも、本来はハーフハーフのはずなのだ。

周りが相手の都合を優先しているように感じることもある。でも、自分が遠慮しているからこそそうなってしまっているのかもしれない。遠慮していること自体、気づかれてさえいない可能性もある。

こちらが主張していない限り、全責任は自分にある。相手には全く非はない。それを痛いほど分かっているからこそ、落ち込んでしまうのだ。

でも、自分の気持ちをぐっと押さえ込んだ上に、主張できなかった自分を責めるなんて、2重で痛めつけてるみたいなもんだ。

たまに主張できないことがあっても、相手はもちろんだが、自分のことまで責める必要はない。

その代わり「疲れたねえ」「帰りたかったねえ」「大変だったねえ」と、自分に優しく声をかけてあげてもいいんじゃないだろうか。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?