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「ただ対話するだけ」の精神療法が新たに生みだす問題解決の糸口『まんが やってみたくなるオープンダイアローグ』

【レビュアー/工藤啓

精神療法オープンダイアローグってなに?

オープンダイアローグと聞いて、「あぁ、あれですね。いま話題の!」というひとはまだ少ないだろう。

オープンダイアローグは、1980年代にフィンランドの西ラップランド地方にあるケロプダス病院で始まった。患者や家族から連絡を受けた医療チームが24時間以内に訪問し、ミーティングを行いながら症状緩和を目指す両方だ。(引用:時事メディカル

精神療法のなかでも、非常に新しく斬新な手法であるオープンダイアローグは、私たちの日常生活で目にすることはほとんどないだろう。

しかし、なぜこの「開かれた対話」という手法が書籍のみならず、漫画という形でも私たちのもとに届くのか。それは精神的に苦しい状態にあるひとに対して、入院や薬剤を極力使用しないという、私たちが思いつく「治療」のイメージと大きく異なる意外性を持っているからだ。

私たちが病院に行く目的は、病気を治療したり、心身の不調を改善するためだ。だが、オープンダイアローグは、治療や改善を目指さない。

変えようとしていないからこそ変化が起こる この逆説こそが、オープンダイアローグの第一の柱です。

そう本書で述べるのは、日本でひきこもり状態のひとを観る精神科医のトップランナーである齋藤環医師だ。オープンダイアローグを啓蒙、普及している専門家のひとりでもある。

どのようなひとたちが普及に取り組んでいるかは、オープンダイアローグ・ネットワーク・ジャパンのウェブサイト「役員・沿革」を参照してほしい。

ただ対話を続けるだけで物事が改善するのか?

本書では、オープンダイアローグを実践したケースが非常にわかりやすく描かれている。それは書籍で読むのと比較して、当事者や家族、それにかかわる医師や看護師などの専門家が、どのようにオープンダイアローグを実践しているのかが理解しやすいから。

31歳で働けない男性は、父親の度重なる暴言に自尊心が傷ついていた。そしてあるとき父親の一言に激高し、両親を傷つける。警察までもが介入し、家族は自宅を離れ、本人は…。

そんな家庭に足を運んだのが齋藤医師とソーシャルワーカーの上田氏だ。最初、男性は部屋の扉をかたくなに閉ざしている。すると二人の専門家と両親がドアの前で会話を始める。

まさふみさんは何を考えていると思いますか?
もう息子のことはよくわかりません・・・甘えてるんですよ。こんな非常識な奴いないです。部屋で何やってるんだか・・・

父親の言葉に、「バァン」と扉が開く。

そして、オープンダイアローグが始まる。本人も家族もテンションは異常値を越えている。

齋藤医師:まずはまさふみさんお願い致します 
まさふみさん:とにかくオレは金が必要なんだ!こいつら金を持っているはずなのに出そうとしない!せっかく勉強して医師になろうとしているのに邪魔しやがる!おかしいだろ!
齋藤医師:ご両親は何かありますか? 
母親:いまさら医者なんて無理よ・・・ 
父親:うちには金はないって言ってるだろ!! 
まさふみさん:駐車場を貸したりしてるじゃねぇか。溜め込んでるくせに!

その後、医師とソーシャルワーカーという第三者がまさふみさんと両親に交互に質問を繰り返していく。

ここで動きが出る。

ちょっと僕たちだけで話してみますね。

ここでのシーンは漫画であっても十分驚くに値する。齋藤医師と上田ソーシャルワーカーが、まさふみさんと両親の前で、三人がそこにいないものとして感想や意見を交わし合う。

その内容について、それぞれが自分では持ちえない他者視点を獲得していく。相手の立場から見えている世界と、第三者から見えている世界が自分のなかに取り込まれていく。

この対話の目的は対話を続けていくことにある。

治療や解決を目指さない。ただただ、続けていく。そのプロセスのなかで、変化が湧き起ってくる。

まさふみさんの事例だけでなく、さまざまなオープンダイアローグの実践シーンが描かれていく。自宅のローンと母親の暮らしの支えによる経済的な視点と将来の心配でいがみ合う夫婦は、対話を通じてそれぞれが生まれ育った家庭環境を知る。

夫:父が使ってしまってお金がなくて 弟は幼稚園に行けず 借金取りが遊んでくれていました。それしか知らないからそんなもんだろうと思ってて・・・だから 「サザエさん」みたいなのは ありえない虚構の世界だと思ってました。
妻:え?ウチはわりとリアルに”サザエさんち”だったから 「サザエさん」って平凡な家族の日常を切り取ったアニメだと思ってた・・・サザエさんは「フィクション」だと思うほどの子ども時代って・・・

それぞれがオープンダイアローグを通じて、自分の話をすること。それについて第三者が当事者の前で、互いに感想を言い合うこと。オープンダイアローグ、開かれた対話を通じて互いのことを深く知っていく。

他にも精神的な病気で夫婦関係、親族関係に亀裂が入ったケースや、幼少期からずっと「鬼女」に追われ続けた男性のケースなど、治療や入院が必要と結論づけることこそが常識と思われるシーンに、オープンダイアローグが効果を見せていく。

オープンダイアローグは誰のものか

オープンダイアローグを知ると、専門家チームによる医療的介入行為に思えるが、齋藤医師はそうではないという立場だ。帯にもこうある。

本書に書いてあることを守っていただければ、「対話実践」は誰にでもできます。まずはやってみてください。見よう見まねでも構いません。対話さえ続けば、あとはなんとかなりますから!

本当にそうなのだろうか。専門家がいないところでオープンダイアローグは成立するのだろうか。本質的には可能だろう。なぜなら、私たちも日常生活のなかで「対話」をしているからだ。ただ、本書にもあるように「会話」と「対話」は異なる。

会話ではなく、対話をする

道しるべとして「オープンダイアローグの7原則」も記されている。そして具体的なやりとりの一部は、漫画として描かれている。

本書全体を読むことで、オープンダイアローグが誰のものかが理解できる。それは専門家のものでもあり、私たちのものでもあるということだ。

さて、最後に付録というには、齋藤医師を知るひとにとっては驚きのエピソードがある。齋藤医師の幼少期からいまに至るまでのストーリーだ。これはあえて触れないが、これまでの齋藤医師と、オープンダイアローグに出会った後の齋藤医師の大きな変化が簡潔に描かれており、ひとが変わる一瞬を切り取る。

それぞれの意見を患者さんに差し出す。違っていることがむしろ大切。患者さんの選択肢が広がる。大勢の人間と一緒にいるけれど 空気を読まなくていい。自分のままで異質なままでいい。集団の中で1人でいられる。
 やっと精神科医になれた気がする