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親も友達も趣味もない孤独な少女の運命を変えたのは、HONDAのカブでした。『スーパーカブ』

【レビュアー/工藤啓

望んで孤立を、進んで孤独を求めたわけではない 

父親を事故で亡くし、頼れる親戚もいない。そして母親が一枚のメモに残した「Bye」の文字。 

突然、ひとりぼっちになった高校2年生の小熊。学校ではクラスメートが彼女のことを「親に捨てられた」とひそひそ話する。 

両親無し 友達無し 趣味無し 私には何も無い 。

昨年度末、日本では孤立・孤独担当大臣が設置された。生きづらさを抱えるひとたちが孤立する問題に対しては、従前からさまざまな課題提起と解決のための取り組みがあった。 

そして、新型コロナウイルスにより、人間関係はより窮屈になり、虐待やDV、ひきこもりや自殺といった課題が噴出。それら諸課題に対応すべく対策のタクトをふるうのが孤立・孤独担当大臣だ。 

菅総理も「コロナ禍の長期化で女性の自殺も増えている。問題を洗い出して総合的な対策を進めてほしい」とコメントをだした。(日本経済新聞 2021年2月21日) 

実際、国の政策として孤独なひとや孤立するひとたちを支えていくには、予算を作り、全国の自治体と連携しながら、ひとりで悩むひとたちに対する相談窓口の設置や相談員の配置する事などがベースとなる取り組みになるのではないだろうか。 

ただし、相談窓口で待っているだけでは困っているひとたちと出会える機会は限定的となるため、訪問型相談やSNS等を使って接点を持ちやすくするための取り組みが重要となるだろう。 

どうしたら社会が孤立・孤独により思い悩む個人を支えられるのか…今まさに、有識者を集めた会議などを通じて議論が進められている。

参考:内閣官房 孤立・孤独対策

『スーパーカブ』は、孤立や孤独の問題をテーマに描かれたものではない。

しかし、物語の最初に飛び込んでくるのが、両親も親族失った主人公の姿だ。 

望んで孤立したわけでもなく、進んで孤独を求めたわけでもない小熊だが、ひとつのきっかけで日常生活に彩が添えられていく。 

それは、ふと足を運んだ小さなバイク店で出会った、中古のスーパーカブだ。 

小さな出会いが世界を広げる 

スーパーカブにまたがった小熊は、自分が心の奥に抱える何かを吹き飛ばすように風が吹き抜けていくのを感じた。 

購入を決め、免許を取り、スーパーカブを走らせる。そして思う。 

両親無し 友達無し 趣味無し カブ あり! 

何もない自分に、スーパーカブの存在がある。その小さな出会いで劇的な変化が起こるわけではない。 

どこにでもあるものなんだよね・・・どこにでもあるスーパーとか どこにでもある軽トラみたいな・・・目立たなくて平凡で・・・私と同じ・・・♪ 

心のよりどころと呼ぶべきか、好きなこと(趣味)ができたと言うべきか、表現が難しいが、少なくとも小熊にはスーパーカブという、心から愛するものができた。 

田舎の女子高生にとって、スーパーカブに乗ることは、どこにでもいるひとりの存在というほど当たり前ではない。ただ、孤立してなかろうが、孤独でなかろうが、同じ物事を愛する存在は、この世界のどこかに必ずいるものだ。 

あなた・・・カブに乗っているの? 

そう小熊に声をかけてきたのがクラスメートの礼子。成績上位でスポーツも優秀。父親は市議会議員、母親は会社経営。礼子は市内の別荘で一人暮らしをしながら学校に通う「何でも持っている女の子」だ。

その何でも持っているように思える礼子が大切にしているもまたスーパーカブであった。偶然の出会いによって、小熊の暮らしがまた少し変化する。 

二人はまったく異なる背景、性格を持つがゆえに、それぞれの持っている知識や経験も異なる。しかし、スーパーカブという共通項がゆるやかに二人を繋ぐことで、それぞれが互いの違いを受け入れ友情を紡いでいく。一方の世界と他方の世界がカブという接点でつながり、コミュニティを形成していくのだ。

ふと立ち寄ったバイク店で出会ったスーパーカブが少女の世界を少しずつ広げていく。 

心地よい人間関係の距離 

孤立し、孤独であった小熊が礼子と出会ったことで、二人の関係性における距離感はぐっと近づく。しかし、本書が私たちに教えてくれるのは、ひとにはそれぞれ心地よい人間関係の距離があるということだ。 

例えば、小熊はスーパーカブを手に入れたことで、バイクを維持するコストが発生する。また、行動範囲が広がったことで行ってみたいこと、やってみたいことが増える。つまり、お金がある程度必要になる。 

そこでいわゆるバイク便のアルバイトを始める。そこそこの割のいい、しかも、自分のスーパーカブに乗って仕事ができる環境は、小熊にとってよい仕事だ。同じくバイクを乗りこなす礼子も、小熊と同じバイトに興味を持つなり、どちらかが一緒にやった方が楽しいよねと声をかけることも想像しやすい。 

しかし、礼子は同じ仕事を選ばない。以前から富士山をカブで登頂したい気持ちを実現させるため、荷物の頂上輸送を行う場所で働くことを選ぶ。 

仕事の傍ら、何度もカブでの登頂にチャレンジしながら、転倒や転落を繰り返す。日常の延長でアルバイトを選んだ小熊と、非日常の世界を選んだ礼子は、それぞれの価値観を軸に、交わりながらも、交わらない部分、人間関係の距離を心地よく保つ。 

いま、世界は、日本は誰一人取り残さない社会を目指しながら、その一方で孤立や孤独のなかで生きづらさを持つひとたちとつながり、包摂していくかを議論し、草の根から国レベルでの取り組みがなされている。 

そのとき、ひととひとがまずつながれるために何ができるのかを思考し、取り組みの歩を進めていくのは非常に重要だ。一方、孤立や孤独を社会の課題として掲げ、その解決のための手段は、必ずしも先にひととひとがつながらなければいけないというわけでもない。 

両親を失い、友達もおらず、趣味どころか、自分には何も無いと教室の片隅でひとりぼっちだった小熊がスーパーカブと出会い、世界が関係性が広がったように、ひとがひととつながるきっかけはここかしこにある。そしてそのつながりが心地よく続いていくための距離感がある。 

私は、自分が高校生のときに買った原付の横にいた友人の乗るカブに少し憧れたことを思い出し、この作品を手に取った。

あのときの自分を懐かしく思い出しながら、現代の大きな社会課題である孤立・孤独への対処、そのヒントまでをももらえるとは思いもよらず、同じように本書『スーパーカブ』を通じて、新たなつながり、友人を持ちたいと切に願っている。